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[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します

遊び心を基軸に、様々なモビリティ事業を展開。

後編株式会社パドック 代表取締役

岡本千絵

津山市

岡山県にある、株式会社パドック 代表取締役 岡本千絵 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。

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8企業向けに専用仕様の三輪バイク「i'me(アイミー)」を提供。

丸尾

それでは後編です。
前編はこちら> 株式会社パドック 代表取締役 岡本千絵 (前編)

丸尾

トライク(三輪バイク)の話に少しもどりますが、企業向けにも提供されていますよね?

岡本

そうですね。大手飲料食品メーカーさまに、3輪バイクの i’me(アイミー)という⾞両を提供させていただいております。i’me(アイミー)という⾞両は、三輪でコンパクトで 125㏄のものです。もともと個⼈向けに販売をしていたんですけれども、ある⽇、その大手飲料食品メーカーの中国地⽅のスタッフさんからお問い合わせがあったんです。いろいろ話を伺うと、「宅配業務にはジャイロという 50 ㏄の⾞両を使っているんですけども、それにくらべると荷物も i’me(アイミー)の⽅が載せられそうだし」などと、電話で話をしていたときに、現会⻑の岡本が、「じゃ、実物を持っていきますから。」とその事業所に実際に持っていきました。そして「しばらく置いておきますので、ちょっと乗ってみていただいて、よいかどうかというところを判断してもらえれば」と⾔って置いて帰ってきたんです。

そうしたら、ちょうどたまたまだったんですかね。その大手飲料食品メーカーさんの本社宅配車両を担当する⽅が、そこにたまたま来れられて、「これは何ですか?」という話になって、「いやいや、津⼭のパドックさんに i’me(アイミー)という⾞両ががあったので、ちょっと興味があると⾔ったら、持ってきてくださったんです」と。

「これ、結構荷物載りそうですね!」と⾔っていただき、そこから様々な課題をお聞きし、課題を解決するために、i’me(アイミー)はすごくよいのではないかとお話をいただきました。そして 数年がかりでいろいろお話をさせていただいて、新しい宅配⾞両として使っていくために専⽤⾞両としての開発をご依頼いただきました。専⽤設計をさせていただいたのは後ろの積載部分です。型も全部取り直して、設計も少し変えてと、完全に専⽤仕様を作り上げました。

そして全国ブロックごとの展⽰会に、プロトタイプ車両を持って⾏って⾒ていただいて、乗ってもらって、フィードバックをいただいてそれを反映させていきました。それらの場でも、「良いのではないか」と前向きに⾔っていただける⽅も多かったので、開発、製造、導⼊という流れで、今の時点で全国、北は関東辺りから南は九州沖縄までの事業所で導⼊いただいております。

企業向けに専用仕様のi'me(アイミー)

9トラックの荷台が降りてくる「アンロード プラス」。

丸尾

企業の課題や⼈の課題を解決するという領域だと思うんですけど、そういう意味では
トラックの荷台が降りてくる「アンロード プラス」もすごくインパクトがある商品です
ね?もともとはどういう経緯で開発されたのですか?

岡本

パドックは、バイクに乗ったことがあるとか、整備をしたことがある⽅など経験があるかたをメインに⼈材採⽤していたんですけども、数年前に全くバイクに乗ったこともないけど、パドックではたらきに来てくれた⽅がいらっしゃいました。

それで、バイクを取りに⾏く時などは、もちろんトラックに積んで運ぶわけですが、バイクの取り回しに慣れていないと、トラックに積む際にフラついたりして、すごく不安になるんですよね。お客様のバイクも傷つけたくないし、社員にもケガはしてほしくない。

そしていろいろ聞いていると、レッカーサービスも同じような課題をかかえていて、レッカーでバイクを取りにいくような業務も、実務をしていって経験値を上げていくのですが、それでも載せる最中に倒してしまう不安が⼤きいと⾔うものでした。

岡本

パドック創業者の岡本が、これからバイクに乗ったことがない、触ったことがないという⼈がパドックに興味を持って、働きに来てもらったときに、これが障壁になって続かないのでは――「車両を取りにいく業務が嫌です」となっちゃうといけないのでと考えていました。また、経験値があったとしても⾼齢になって体⼒が低下してきたりなど今は皆大丈夫さけど数年後には…といろいろ課題が。

そこで安全に、けがすることがなく、バイクの配達や引き取りをするのにはどうしたらいいだろう?というのを考え出して、いろいろ探したみたいなんですけど、会長の岡本がイメージしているようなトラックは無かったんです。普通だったらここで諦めるんですが、「無いなら創っちゃおう」と。世界に1つだけのパドック仕様のトラックが出来上がって、未経験だったスタッフも安心して車両配達業務にあたることができました。

これを世間に広めると⾔った考えは、そのときにはまったくなかったんですけども、ほかの⽅が⾒て、「岡本さん、これってもしかしたら、ほかの企業さんとか個⼈さんが抱えている課題や問題解決というのができる商品じゃないんでしょうか?」と⾔っていただいて、津⼭産業⽀援センターや、いろいろな⽅のご協⼒をいただいて、「アンロード プラス」という形で商品化できました。

今までにない可動式荷台トラックとして特許を取得しています。導入実績としては大手電子部品メーカーの企業様の工場に導⼊いただいております。そこでは⼯場内で部品回送をされるんですけども、もちろん安全を考慮しオペレーションを組んで実施されているのですが、時に⼈は、思っていない動きをしてしまうことや、規則で決まっていても抜けてしまい、けがに繋がったりする可能性もあります。

「アンロード プラス」だったら、⼈間が離れたところからボタンを押したら、トラックの荷台が下りてきて、地⾯に荷台が降りた状態で荷物を載せることが可能です。そして、荷物を積み終わったら、⼈間は荷台から離れて危険のないところからボタンを押したら、トラックの荷台が上がっていきます。

⾝体的負担と、⼼理的負担というのが、働いている⼈にとっても軽減され、⾒守る⽴場の管理の⽅も、“安⼼できる”ということで、導⼊していただきました。すでに、第 2号⾞のご注⽂をいただいて、されなるアップグレードや、機能追加で現在制作中です。

10小型の電動4輪車両「e-mo(イーモ)」

丸尾

⼩型の電動4輪⾞両「e-mo(イーモ)」についてはどのような感じでしょうか?

岡本

そうですね。「e-mo(イーモ)」については、以前より会長と私で「これから電気の時代ってやってくるよね」という話をしていました。発売する数年前に、海外のメーカから「こんな商品があるんだよね」とお話しを頂いた時に、創業者の岡本が「このままでは、⽇本では絶対売れないな・・」と⾔う感じを受けたそうで。

そこでそのメーカーさんと、「僕だったら、ここをこういうふうに変えて、スタイルこういうふうにしていけば、⽇本のマーケットでも受け⼊れてもらえるものに仕上がると思うよ!」という話をしたそうなんです。そうしたらそのメーカーさんが「なるほど。その視点はなかった」と。

そこで⾃分たちの⾞両がアップグレードするタイミングであり、その視点を取り⼊れて
改良した車両が出来上がったとの連絡があり、そうしたら「これはいいじゃないか!」となり。

小型の電動4輪車両「e-mo(イーモ)」。
丸尾

そのメーカーさんもブラッシュアップしてきたのですね。

岡本

スピード感が早いなぁという印象でした。また、その間に電気⾃動⾞に対するいろんな政府の⽅針だったりとか、エコが良いという価値観だったりも日本国内で増してきて。ただ、本格的な⽇産リーフとの電気自動車になると、パワーもあるし、何百キロも走れますがすごく価格が⾼いじゃないですか。「e-mo(イーモ)」は電気⾃動⾞ではあるのですが、あえて超小型EVミニカーなんです。50 ㏄原付と同じ位とらえていただければと思います。税金も50㏄原付と同じですし、車庫証明いらないんですよ。

ニッチな市場にはなりますが、ちょっと近場までなら⾏くなら「e-mo(イーモ)」というところから始めていただいて、電動をより身近に感じていただきたいと思っています。

11アメリカに留学し、その後IT企業に

丸尾

パドックさんは事業内容を伺うだけでも、本当にたくさんありますね(笑)。

岡本

だから「バイクショックなんです!」と⾔いたいんですけど、なかなかできないんですよ。バイクショップなのですが、色々と事業 やっていましてね、みたいな(笑)。

丸尾

それが⾯⽩いというか、すごいところですよね。
岡本千絵さん⾃⾝が、先⽇、パドック代表に就任をされました。千絵さん⾃⾝はお⽣まれは、岡⼭県北ですよね?

岡本

はい。⽣まれは美咲町です。⺟が津⼭市で、⽗が美咲町。保育園と⼩学校は津⼭市、中学校は美咲町に通っていましたが、⾼校からは地元を出て県南の⾼校に⾏ったんです。

丸尾

そこからさらに進学ですか?

岡本

そうですね。当時⾃分の中では国⽴⼤学に⾏きたいな・・と思っていたんですけども、⽗がそのころハーレー(ハーレーダビッドソン。アメリカのバイクメーカー。)のディーラーもしていて、⽗がアメリカに何度も⾏っていた際に「これからは英語しゃべれた⽅が絶対にいいな!」と思ったらしいんですよ。その裏には、「英語を勉強して帰ってきて、お店を⼿伝ってくれたらいいな・・」という考えがあったのは後で知ったんですけども。⽗から「千絵さん、ちょっと留学してみたら、どんな?(どう?)」と⾔ってもらいました。

当時、⾃分の中にそういう概念が全くなかったので、「うちのお⽗さん、⾯⽩いこと⾔うんよ。⼤学はアメリカに⾏ってきたら?って。おかしいでしょ?」というふうに友達に⾔ったら、周りの⼈全員が「何で⾏かんの?そんなこと⾔ってくれるお⽗さん絶対いないから、千絵ちゃん絶対⾏った⽅がいいよ!」って⾔われました。「まぁ、みんながそう⾔うんだったら、選択肢としてありだな。」と思ったんですよ。

⾼校 3 年⽣の 1 学期に⽅向転換して。「留学しよう!」というところで、⽗と⼀緒にアメリカのワシントン州シアトルに視察に行って、そしてシアトルに決めました。
当時、スターバックス、タリーズ、Amazon、Microsoft などさまざまな企業が、たちあがっている時期だったんですよね。だから当時 Microsoft も DOS から Windows に変わってとかというのを体験しながら、アメリカってこうなんだ、今まで会計の仕事とかしてみたいと思っていたけど、これからは IT の時代だと思ましたね。経営の勉強しながら IT の勉強もして、終わったら⽇本に帰ってきて、東京の IT 企業で仕事をしました。

丸尾

東京で IT 会社ということですが、どのようなことをされていたのですか?

岡本

⼤⼿企業系列の IT 企業でした。外資系のお客さんが多かったので、学びの多い仕事でしたね。やりとりする先がシンガポールに拠点があって、英語のやりとりをすることも多いし、語学と得た知識を使いながら、新しいことをどんどん吸収していくというふうな形で仕事をしていました。

丸尾

IT 業界ということですが、具体的にはどんなことを?

岡本

ルーターとか、スイッチなど、ネットワーク機器関連ですね。ネットワークってストップしちゃ駄⽬なので運営支援をおこなうと共にネットワーク監視をして、何かあったら初期対応を⾏い、状況によっては選任エンジニアとともにリモートまたは現地対応するなどしていました。

丸尾

留学された経験は、海外とのやりとりとか、バイクツーリズムとか、その辺りもとても活かされているのですね。

岡本

バイクレンタル事業も、英語でホームページを作ったら、電話がかかってきて、AKO さん(アコさん。創業よりパドックをささえる専務。)が電話取って、”Just moment please!”って言った後に私に回ってくるわけです。(笑)その電話を取って話をしたら、レンタルをしたのが中東の要⼈ご⼀⾏だったということもあります。

12パドック代表として。

丸尾

パドックの代表に交代される経緯はどんな感じでしたか?

岡本

そうですね。前職でシンガポールから、そろそろ戻ってきたいと思っていたころでした。中学校を卒業してからもうずっと外に出ていて、家族や親戚と近くにいる期間は少なかったんですけど、20 代後半のときに、初めて⾝内を亡くすという経験をしました。それと⼈との接点があまり無かったIT業界の仕事だったんです。コンピューターといつも会話しているみたいな感じですし、忙しく⼈と会うこともどんどん少なくなっていって、私の⼈⽣これでいいのかな?と思う瞬間があったんですよね。

そのとき、「実は千絵ちゃん、お店新しくしてこっちに移るのよ(現在の場所に。)」というふうな話もあって、「帰ろうかな・・?」というに思ったんです。
家族のそばにいたいという気持ちがすごい湧いてきたので、両親に「帰ってパドックでお仕事したいんだけど、私、バイク免許も何も持っていないんだけど、いいかな?」と話しました。

丸尾

パドックに戻ってこられてからは、いかがでしたか?

岡本

そうですね。お客さんがそこのパドックの⼊り⼝ゲートから⼊ってくるとき、しかめっ⾯した⽅とか、そういう⽅っていらっしゃらないんですよね。皆さんすごく興味深い顔で⼊ってこられたり、「今度ここにツーリングに⾏くんだよ」って、すごくいい顔で話しながら⼊ってきてくださる⽅が本当に多いんです。お客様の笑顔が沢山みれる、そういう職場って、実は少ないと思うんですよ。お客さんがいつもにこにこして、そう⾔うところに⾃分がいるというのは、すごく恵まれていると感じています。大好きなこの会社を残していきたい、新しい仲間が増えたら、楽しく⼀緒にやっていきたいと、考えるようになりました。

⽗の⽅で世代交代を考えていたタイミングと、こっちが「やりたい!」という気持ちがちょうど重なった時期だったので、お互いが元気なうちに、世代交代をしようという形で、去年(2019 年)の 10 ⽉に世代交代ということで事業承継させていただきました。

丸尾

パドックさんはもともと会⻑が作られた会社だと思うんですけど、「パドック」という社名の由来は何ですか?

岡本

もともとうちの会⻑がレース好きでサーキットを走っていたんですよ。サーキットに⾏くと、いわゆるピット(パドック)というところがあるんですけど、モーターレースなどで車両を整備する場所のことをパドックというんです。そこにみんな集まるんですよ。

コース上でもいろんなドラマが生まれるんですが、パドック内でも様々なドラマが起こるんです。“パドックに⼈が集う、そこでドラマが生まれる”。楽しいことや嬉しいことばかりではない、ときに問題も起きたりもしますし、いろんな課題にぶつかることもあります。でもそれも含めて楽しいのが “パドック”なんです。

13津山で、面白いチャレンジができる企業でありたい。

丸尾

まさに今のパドックさんのイメージとすごく⼀致しているなと聞いていて思いました。代表として、これからパドックをどういう感じにしていきたいという考えはありますか?

岡本

今まではどちらかというと、⼀ショップというスタンスが⼤きかったんですけども、これからというのは、ショップの部分も⼤事にしながら、企業として成⻑していきたいなと思っています。

⼆輪(バイク)部⾨、三輪(トライク)部⾨、あとレンタル部門があって、電気四輪部⾨があって、アンロードプラスもあってとなっていて、これらを将来的には部⾨ごとにきちんと回せる会社にして成⻑していきたいと考えています。別会社にするという選択肢もでてくるかもしれません。

だからバイクが好きな⽅が勤めに来てくれることはもちろん嬉しいです。反対に、emo(イーモ)というのは、バイクでなくても電気⾃動⾞が好きとか、⾞が好きというようなそういう仲間と⼀緒にやっていくのもよいですね。

アンロードプラスは、企業のいろいろな問題を解決する事業です。CADでデザインできる方とか、このトラックを使ってどんな問題解決ができるだろう?と、いろいろな会社さんと協⼒をしながら商品を作っていくのが好きな方が活躍できる部⾨です。

いろんな⽅が、津⼭って帰って⾯⽩いチャレンジができる企業でありたいなと。学⽣の⽅などにもパドックを知ってもらって「こんな会社があるんだ!?」、「⾯⽩そうだな。⼀緒にチャレンジしてみよう!」と思ってもらえる企業「パドック」でありたいと考えています。

14遊び心を忘れない。時代に合わせて変化していく。

丸尾

最後に、⼤切にされている⾔葉などあれば、お願いします。

岡本

「時代とともに、恐れることなく、変化をしていく。」そして「常に遊び⼼を忘れない。」遊び⼼を忘れず、時代に合わせて、お客様の要望に対応できる、変化していく企業でありたいと思っています。

丸尾

もともとパドックさんは「遊びの発信基地」というキャッチフレーズもありましたよね。やっぱり変化をしていくというのは、怖い部分もあったりすると思うのですが、そこも楽しみながらというこですね。

岡本

だから、残すものはきちんと残す。変わっていかないといけないところは、社員と話をしながらも変わっていく。柔軟性を持つということがこれからはすごく重要だと思います。

海外の⽅と接していると、「⽇本はとてもよいのだけど、柔軟性に⽋けるところがあるよね。」と⾔われることがあります。マーケットをここだけとか、岡⼭のどこどこだけと⾒ちゃうと、どうしても視野が狭くなり見える景色も限られてきます。会社のステージ⾃体も可能性を追求して、学びそして変化していくことも⼤切であると思っています。だから「世界を捉えるようなカタチ」にしたいなと思っています。

遊び心を基軸に、様々なモビリティ事業を展開。

株式会社パドック

パドックは、モーターサイクルショップの枠におさまることなく、様々なモビリティ事業を展開。⼈と⼈、⼈と地域の繋がりをサポートし、⼆輪や三輪に乗ったことが無い⽅にも モビリティの素晴らしさを伝える情報を発信するとともに、社会的課題に対応するソリューションを提供すべく、オンリーワンなモビリティ企業として活動。

お話を聞かせていただきありがとうございました!パドックさんの事業はバイク事業を中⼼として、企業課題を解決したり、ライフスタイルを豊かにしたりと、様々な価値の軸があり、お聞きするだけでとても興味深いものでした。また、海外経験を活かし、世界をスコープに⼊れながら、津⼭市で事業されていく、岡本さんの話にはとても刺激をいただきました。岡本さんは、海外から岡⼭県北に U ターンで、これからのモビリティの可能性を新たにつくっていく、かえーる⼈でした。

  • 取材日:2020年8⽉6⽇
  • 撮影地:株式会社パドック(岡⼭県津⼭市)
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