[Uターン・Iターン・移住]
いーなかえーるは、岡山県北の
求人情報をご紹介します

岡山県北で求人広告をお考えの企業様

[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します

まずは自分が実際に味わい、本当に良いものをお客様に

わらうかど 

大前輝伽子

津山市

岡山県にある、わらうかど 大前輝伽子 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。

index

1はじめに

丸尾

こちらの『わらうかど。』はオープンされてからはどれくらいになりますか?

大前

おかげさまで2年目に入ったところです。

丸尾

お店のコンセプトについて教えてください。

大前

コンセプトは、“粋な大人の遊び場”です(笑)
お料理を楽しんだり、おいしいことを楽しめる。そんな人に来てもらいたいと思っています。
魚から野菜から食材にはすごくこだわっています。

2日本料理人という仕事。他社のメニュープロデュースなども

丸尾

このお店をする前は、どういったことをされていたのですか?

大前

高校を卒業してからは、10年近く板前をしていました。でも人生が板場だけで終わるのは嫌だったんです。
もちろん仕事もしたいけど、家庭も持ちたいと考えていて26歳で家庭を持ちました。

丸尾

なるほど。そのあとはまた板場にもどられたのですか?

大前

もどったんですが、子供を100%預けっぱなしで仕事するのもどうかと思っていましたし昼間の時間帯だけの仕事だと、私の今まで頑張ってきたことが活かせないと思い独立したんです。

丸尾

独立してからは、どういった内容の仕事をされていたのですか?

大前

それからは料理教室、メニュー開発、それからケータリングサービスなどをメインに約10年程活動していました。その後このお店をオープンすることになりました。

丸尾

メニュー開発というと、飲食や食品関係企業のメニューをプロデュースしたりとかですか?

大前

そうですね。主にスーパーマーケットさんの惣菜のメニューですとか、料理教室、それから飲食店のメニュー開発などでした。料理教室は今もやらせてもらっています。

3日本料理人には自然となりました(笑)

丸尾

もともと生まれは津山ですよね?

大前

そうです。津山で生まれて、高校卒業後から大阪です。大阪の料亭で修業をしました。

丸尾

料理の道に進まれたのは、なにかきっかけがあったのですか?

大前

皆に聞かれるんですけど、実はあんまりないんですよね(笑)自然とそっちに進むことになった感じです(笑)

丸尾

高校は調理科ですか?

大前

調理科です。でも高校のころに実際はあまり将来のカタチはまだ見えていなかったですね。
母親からの日本料理の料理人へのすすめはありました。

丸尾

日本料理人をすすめる母親も珍しいですね(笑)

大前

そのころ高校に調理科ができたばっかりだったと言うのもありますし、母が『日本料理はいいよ!年をとっても飽きないから。私が(笑)・・・』あんたかよ!みたいな(笑)

4厳しかった日本料理の世界

丸尾

そして卒業後から大阪にでられて修行ですね?

大前

修業です。当時はバブルのなごりがあって大きなビルが全館料理屋さんみたいな感じのところの店舗でした。

丸尾

特に当時にしては珍しい進路だと思いますが、やっぱり苦労されたことはたくさんありますか?

大前

そうですね。板場に女の子はいらないと言われた時代だったので。
たまたまそこの料理長がこれからの時代は女の子も必要になると言う考えの人だったので採用してくれました。

丸尾

今でも、女性はやっぱり少ないのですか?

大前

洋食などはいらっしゃいますが、日本料理はまだまだ少ないですね。

5全国包丁人大会での優勝、さらに料理の道へ

丸尾

全国包丁人大会に出場された映像を拝見しました。

大前

その時の大将から若いのを出そうという話になり、「出なさい!」、「出ます!」みたいな感じでした(笑)

丸尾

優勝はすごく大変なことですよね?

大前

あの大会に向けて特別何をしたわけでもないんですけどね。

丸尾

そうなんですか(驚)

大前

今から考えれば・・・男性は皆さんタバコ吸われるじゃないですか?仕事中に一服されますよね。その時間がたぶん積算したら結構な時間になると思うんです。
私はタバコをすわないのでその時間分働いていたので、そういう部分を神様がみていてくれていたのかなと思います(笑)

丸尾

優勝されてなにか変ったことはありますか?

大前

その時は本当に料理の道で生きていこうと思いました。

6地方では料理をつくるのは大変、刺激も必要

丸尾

津山に帰ってこられて、なにか違いはありましたか?

大前

料理を地方でつくるのは大変ですね。材料が手に入りづらいですし、道具も少ないです。
それから情報が少ないです。いくらネットがあっても目で見たり、触ったり、実際に食べたりする刺激が必要ですからね。

丸尾

なるほど。お客さんとの距離感とかは違いますか?

大前

やっぱり今のほうがお客さんとの距離は近いですね。大阪の時は、18歳から店に入ったので、まだ下っ端という感じでお客さんもあまり相手にしてくれない状況でした。年齢もあるかもしれません。女は29歳でも相手にしてくれないですし馬鹿にされます。今39歳なんでようやく貫録ができたかな(笑)少しは物申せる感じに(笑)

7これからの女性日本料理人を押し上げていきたい

丸尾

これからの日本料理の業界についてはどう思われますか?

大前

物事って、一代じゃ築けないと思っています。いろんな人が重なり合ってすごい結果が生まれるんだと思います。わかんないですけど(笑)
いまでも“誰もが認める”と言われる女性日本料理人はいません。もう少ししたら出てくるのかもしれないですね。

丸尾

たしかにこれからはそうかもしれません。

大前

今、高校の講義で教えていますが、私自身もしかしたら、誰かそういう人を押し上げるために自分がいるのかなと思っています。
これからの若い世代の女性日本料理人のために自分がなにができるかを考えています。

丸尾

大前さんが日ごろ大切にしていることを教えてください。

大前

自分が実際に味わってみて本当においしいものでないと、お客さまには渡せないと考えています。
そのためには何事もまず自分が試さないといけません。

まずは自分が実際に味わい、本当に良いものをお客様に

turns11-05

turns11-06

イキイキのお魚や地元のお野菜で美味しい日本料理。日本酒も地酒やレアなものも。

取材に対応いただきありがとうございました。大前さんの料理を味わってみたいですね。 大前さんは大阪から津山にUターンのかえーる人でした。

  • 取材日:2014年4月30日
  • 撮影地:わらうかど
岡山県北で
はたらく
くらす
かえ~る人