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本当にちょっとのことでいい、よかったなとか、楽しいと思える瞬間を大事にする

後編株式会社西粟倉・森の学校 

井上達哉

西粟倉村

岡山県にある、株式会社西粟倉・森の学校 井上達哉 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。

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1森に木はあるのに、木が供給できない!?

後編です。前編はこちら 株式会社西粟倉・森の学校 井上達哉(前編)
丸尾

そして西粟倉に来られて、森の学校の起ち上げですよね。

井上

そうですね。木を売ると言っても、本当に山に生えてる状態からです。加工する工場も持っていないので、何が大変だったかというと、何をやったらいいか本当にわからなかったです。最初は“まず家建てて”言われました。

丸尾

はい?“家建てて”?

井上

家建てて。25歳の素人ですけど(笑)“2棟建てて”と言われました(笑)
村の事業で“西粟倉木の家”というモデルハウスを2棟つくる動きが決まっており、西粟倉の木を使ってリソースは基本的に村の中であるものでまかなって、あわよくばそれを外に売っていく。

これはいきなり森の学校の事業としておもしろいなと思いました。
建築の知識もなかったんですけど色々勉強しながら、まず山にある木もどれを切ったらいいかというとこからはじめました。

丸尾

めちゃくちゃ大変じゃないですか!?

井上

めちゃくちゃ大変でしたね。
実際製材もどういうサイズにするか、何本いるか、いつそれが必要かという、QCD(製造における柱といわれる品質、コスト、納期)とかも含め、本当に全部知らなかったので。

それをなんとかコーディネートさせてもらって、一年間くらいかけて、二棟の家を建てて、あと体育館に骨組みだけの一棟もあるんですけど、合計三棟建てました。

そして、腕のいい大工さんはたくさんいるので、木と大工さんで家を建てるぞ!といって始めると、まったく木が供給できなかったんです。

丸尾

木が供給できないとは・・?

井上

村の山には木はあるんですけど、それを製材する工場も村にはあるんですけど、何て言うかな、僕らがそういうビジネスをすることに対して、協力を得ることができていなかったという部分もありました。また、一番重要とされる、木材を乾燥させる乾燥機もなかったです。

丸尾

先日工場を見せていただきましたが、今は大きな乾燥設備があましたよね?

井上

今は大きいのありますけど、それがなかったんで同時に家を建てながら、工場を建設しました。製造業のノウハウもなかったので、どんな機械が必要か?どんな場所が必要か?人が何人必要か?など全然考えたことがなかったんですけど、それも同時にやらせてもらいました。“何もない所からつくる”というのが一番大変でしたね。

2直接売ると決めて、“直接売る材木屋”に

丸尾

なるほど。うちの会社の事務所の床も使わせてもらっていますけど、あのユカハリ・タイル(ユカハリ)という最終製品ができたのはいつごろだったのですか?

井上

ありがとうございます。ユカハリ・タイルは、僕がきてから2年後、工場ができて1年ぐらいは経ってからですね。

丸尾

ユカハリ・タイルに行きついたキッカケなどはあるのですか?

井上

最初はあんまりそういう商品を提供するという想いはなかったです。工務店さんなどの新築を建てるところがお客さんだったんです。
森の学校の設立がリーマンショックが起こった頃だったので、住宅100万戸建てていたのが、70万個くらいに減少していたんです。

けっこうがんばって営業はしていました。でも家を建てる人の中には、“西粟倉の杉を使ってほしい”と言ってくれる人もいました。お客さんは工務店さんに言うんですけど、工務店さんは“やめたほうがいい”とお客さんを説得するんですよ。
“傷つくし、あの汚れるし、後で絶対よくないから”って。お客さんを説得してくれるんですよ(笑)

丸尾

説得してくれるんですね(笑)

井上

業界としてもクレームの多い産業なので、こういった素材をできるだけ使いたくないんですよ。なので、僕ら、もう工務店に言ってもダメだから、直接売ろうと決めて、“直接売る材木屋”になりました。

3“材木屋”としてお客さんが使いやすい形で、商品開発をして直接届けることが、僕らの使命なんじゃないか?

丸尾

なるほど、直接提供する方向になってきたわけですね。

井上

そこで何が起こったかというと・・・お客さんは材木のことを知らないんです。
最初はレクチャーしながら、お客さんに部屋のサイズをメジャーで測ってもらって、それに合わせて僕らが、全部カットして、それをお届けするというのをDIYフローリングという名前で売り出しました。一番最初の商品だったんですけど、めちゃくちゃ難しくて。

丸尾

たしかにそれは難しいですよね(笑)

井上

お客さんができないんですよ(笑)当たり前だよなーと思いました(笑)
当然、段差とか発生するじゃないですか。もう完全にプロダクトアウトで、こちらは林業の勉強してきて、国産材が大好きだから、“いいに決まってる!”という頭なんですよ。
“これが直接買えるなんて、すごい!”みたいな。

自分でやれば、賃貸マンションとかでも、その家を所有してない人達でも、現状回復なしで替えれるしこれはすごいサービスだ!と言って、やったら案の定、僕らでも全然できなくて(笑)

そして、お客さんが測ってもサイズと違うし、加工して送ったら、はまりませんというクレームがくるんですよ。

“見切”とかってちょっと何ミリか出てるじゃないですか、しかも家って必ずしも直角じゃないんですよね。それに合わせて、お客さんが精度よく図るのは難しいですし。
しかも“床を張る”ってイメージがわからなくないですか?“床をDIYで張りましょう”と言っても、“いや・・もう床張ってあるし”みたいな感じなんですよ。

これは、“けっこう大きな壁にぶちあたったぞ”という感じで、工務店も買ってくれないし、お客さんに直接売ろうと思っても、お客さんにノウハウがないし、これは本当にまずいと思って、何が問題かと考えたんです。

そうしたらやっぱり“難しすぎる”っていうのと、“床をはるイメージ”がなさすぎる。
一般の人に対して何だったらいいかなと考えた時に“四角かったら”“タイルみたい”だったら、“タイルは「はる」というイメージがある”と思いました。

丸尾

タイルと言われれば格段にイメージがつきますよね。

井上

ネーミングとしてもそうですし、そこから僕らのビジネスモデルがそのエンドユーザー向けのサービスに向かうようになりました。

ただ大工さん達に売っていたものを、お客さんに売るという流通を作るんではなくて、
材木屋としてお客さんが使いやすい形で、商品開発をして直接届けるということが、僕らの使命なんじゃないかと考えました。その結果、ユカハリタイルという商品ができたんです。2年~3年前ですね。

4僕らは業界素人。だからこそ木を使ってもらうために最低限必要なことを積み重ねた。

丸尾

ユカハリ・タイルは、本当に気軽におくだけですよね。ウチの事務所も畳をはがして、置いただけですけど。

井上

そうなんですよ!置くだけ!ありがとうございます。

丸尾

やっぱり一度、未完成でも商品化してみて、お客さん視点を入れてみたからこそ、ユカハリ・タイルができたんですね。

井上

そうですね。けっこう、“あきらめの悪い会社だね”ってよくうちの社長と言ってます。開発とか、お客さんから怒られたりとか、全然売れなかったりとか、本当に大変だったので。

やっぱり僕らの使命を考えた時に、もともとここ岡山県北地域でやってる製材所など、そういった人達の市場を取り合うことではないと思うんです。

森の学校としては、新しい市場を開拓することに取り組むので、ユカハリ・タイルで新しい市場をつくるには、賃貸マンションとか、都市部のオフィスとか、商業施設とか、そこ狙うことになります。そこには床がたくさんある!

丸尾

都市部ほどたくさん、床ありますからね。

井上

構造材、新築の柱などをもともとつくっていたんですけど、運賃がものすごい高くかかるっていうこともわかって、競争もすごく激しいですし。

内装材に特化しようと決めて、そうすると輸送コストが圧倒的に安いんですよ。
単材積あたりのコストが安いので、これだったら東京にも売れるということで、もう宅配業者でも運べるサイズにしました。

丸尾

あれだと普通の荷物レベルで運べますもんね。

井上

ちゃんと段ボールで梱包するという概念が、元々なかったんですよ。
材木屋さんには。全部、そのまま並んでて、どれがどの材かわかないというのが、材木屋さんだったんですよ。

僕らは全員素人で始めたんで、きっちり梱包して、お客さんに届くまでに傷つかないように、運ぼうとか。当たり前なんですけど。卸市場に卸すとしかやってなかった業界なので、わかんないんですよ。

僕らは素人だからこそ木を使ってもらうためには、最低限必要なことを着実にやっていって、商品の改良も重ねて、今まで来ているという感じです。

5料理にたとえるなら、僕たちはあくまで料理人に食材と場を提供するインフラ会社

丸尾

それでは少し話が変わるんですが、あの先ほども言われたように、ようびさんもそうですけど、アブラボさんも、この森の学校から事業家を出されていますよね?

井上

そうですね。僕らは西粟倉の林業をよくしていくために、製材所をたちあげて、間伐材を利用してもらうために、活動をしていくという使命を持っています。
でも僕ら一社が大きくなったとしても、地域自体は豊かにならないと思っていたんです。

事業家、事業者、起業家をどんどん作るっていうのは、例えば50人の会社を一社、田舎に作るよりは、10人の会社を5社作ったらいいと思っています。5人の会社を10社作ったほうが、地域の魅力は高まるんじゃないかと。

最近また言ってるんですけど、僕らは家具屋でも、雑貨屋でもないと。あくまで材木屋だと。
家具をつくる人がいて、雑貨をつくる人がいて、楽器をつくっている人がいて大工さん達がいます。

僕らが商品を開発してやりますってやったら、西粟倉におけるその市場がなくなるじゃないですか。それやりたかったけど、まぁ他の地域でやろうかとなってしまうかもしれません。
僕らはぐっとこらえて、職人さんですけど、たとえるなら料理人になる人達がどんどんこの地にくる。

僕たちはあくまで食材を提供するインフラ会社であって、お客さんには僕らの食材が使われた料理、それを提供する魅力的な地域ですよっていうことをブランディングしていきたいと思っていたので、そんな彼らがおもしろくできるように全力で場と材料を供給します。

6西粟倉での5年間で感じたことは、おそらくどこの地域づくりでも共通していることがあると思う

丸尾

井上さんが関わられている、岡山市の商店街の活性化の話を以前聞きましたが、岡山県南のほうにも行かれて、地域に関する活動もされてるんですね。

井上

そうですね。悪く言えば、首をつっこんですんですけど(笑)あの岡山市の商店街の話は、たまたま知ってる人から声をかけてもらったんです。彼らも同じ悩みを抱えているんです。なんとかこの商店街を元気にしたいと。

ただ、やっぱり色々な長年降り積もったしがらみだったり、変えたいけど、自分たちだけでは変えられない部分などもあって、“一緒にやりませんか?”という声をかけてもらえています。

別に僕が特別ノウハウを持ってるってわけでもないんですけど、今まで西粟倉でやってきたこととか、この5年間で感じたことって、たぶんどんなこう地域づくりにも、共通しているところがあると思います。

若い人たちがやりたいけど、それだけではうまくいかないことだとか。
若い人はやりたいって言っていても、本当にそれはやりたいことなのか?
そういうことを外側から見ていて自分がやってきたことのように写るので、少しアドバイスさせてもらったり、どうやって商店街の人達を巻き込んでいくかなど一緒に設計しながらで取り組んでいます。

そういう想いを共感できる地域を一番つくれるかというのは、地産地消を広げたり岡山県全体を盛り上げていくという意味では重要です。

ただ単に“この木をつくっているんで、買ってください”っていうことよりも、“一緒にその木を使える環境作り”までしていくっていうのが、まぁ、暮らし創造部としての役割なので、楽しみながらやっています(笑)

7自分が関わったことのリアクションが、今までの地方は少なかった

丸尾

それでは最後になるんですけども、お聞きした井上さんの地域における活動の中で大切にされていることはありますか?

井上

そうですね。基本的には楽しみたいと思っています。
仕事自体も、僕今までしんどいことしかないなと思ってるんですけど(笑)
でもお客さんが喜んでくれたりとか、スタッフがつくったことで、お客さんが喜んでくれた成功体験とか、お客さんから“ありがとう”という連絡が帰ってくるとか、
それってすごくうれしいじゃないですか。

それは地域でやってることだけが、その喜びを感じられるとうわけではなくて、仕事毎に何でもそうだと思います。自分が何か関わったことのリアクションが返ってくる。
やっぱりうれしいですよね。

それが今までこういう地方、田舎に少なかったということが問題なのかなと。
問題というか、なかなか田舎をネガティブにとらえがちな所だと思っています。
僕らは積極的にお客さんと繋がろうと思っているし、積極的にここでビジネスをやりたいっていう人達とコミュニケーションとって、おもしろいことやりたいと思っています。

やっぱり常に楽しむことがないと、今楽しまないと、本当に苦しいだけになってしまいます。もう本当にちょっとのことでいいので、ああよかったなとか、楽しいなって思える瞬間を大事にしたいなとは思っています。

本当にちょっとのことでいい、よかったなとか、楽しいと思える瞬間を大事にする

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地域の資源を価値にする会社、株式会社 西粟倉・森の学校
西粟倉・森の学校の施設運営(バイテン、工作室、各種展示等)、ニシアワー製造所(間伐材の加工、内装材、ワリバシ)

お話を聞かせていただきありがとうございました。森の学校創業からのお話。“本当に大変です”と笑いながら話す井上さんが印象的でした。井上さんは広島県出身で、東京から西粟倉村にIターンのかえーる人でした。

  • 取材日:2014年11月4日
  • 撮影地:西粟倉・森の学校
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