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「木を使い切る」仕組みづくりで、新しい価値を。

銘建工業株式会社 代表取締役

中島浩一郎

真庭市

銘建工業株式会社の代表取締役 中島浩一郎さんにお話を聞いてきました。

 

#これからの林業
#ヨーロッパと日本の林業
#再生可能な資源
#林業×エネルギー #CLT
#木をまるごと社会に活かす仕組み

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1大型建物木材も得意とする集成材国内トップメーカー

丸尾

銘建工業株式会社の代表取締役 中島浩一郎さんにお話を伺います。銘建工業は岡山県北地域を代表する企業ですが、改めてどういった会社か教えていただけますか?

中島

一番簡単に言えば“材木屋”です。主に集成材(※)を製造しています。そして中でも、住宅用の柱や梁用の集成材は国内トップシェアで、大型建築物で使用される大断面の集成材の製造をしています。

※集成材(しゅうせいざい)とは、小さく切り分けた木材を乾燥し接着剤で組み合わせ人工的に作られた木材。

丸尾

この本社も木材が多く使われていて、とても広い空間が特徴的ですね。

中島

この本社にはCLT(※)という製品を使用しています。集成材は板を平行方向に重ねるのですが、CLTは直交方向に重ねることによって、自然の木ではできない、非常に大きなパネルを作ることができます。

 

大きなパネルを組み合わせれば、建築もできるし、建築以外のものもできる。どのように利用できるかをテーマに普及にも取り組んでいます。

※CLT(Cross Laminated Timber)とは、ひき板を並べた層を、板の繊維方向が層ごとに直交するよう に重ねて接着した大判のパネル。

銘建工業本社オフィス。広々とした空間。

21970年に、先駆けて集成材の製造を開始

丸尾

現在まで会社としては、どのような変遷がありましたか?

中島

大正12年(1923年)創業ですが、当時は「銘建工業」という会社名ではなく、中島材木店(後に中島製材株式会社)という名前でした。創業者の祖父は早くに亡くなったものですから、私の父が昭和22年(1947年)に引き継ぎました。

 

当時はとても大変で、いつ潰れてもおかしくない難破船のような状態だったようです。当時は40人ぐらいいた社員が、一時7人ぐらいまで減ってしまったとも聞いています。何とか潰れずにやっていた中で、もう少し会社の形を変えようと、1970年当時はまだ珍しかった集成材の製造を始めました。

 

そして会社名も「中島」という枠組みに収まらないようにと思いを込めて、「銘建工業」という名前にしたのです。銘建というのは父が考案した造語で、“銘木”の「銘」、“素晴らしい木”という意味。そして “建築”の「建」で、それを工業化していきたいという思いがあったので、「銘建工業(めいけんこうぎょう)」という会社名にしたそうです。

丸尾

集成材の製造を始められたタイミングで、「中島製材」から「銘建工業」に変えられたということですね?

中島

そうです。新しい仕事をする機会に名前も変えて始めたのは良かったのですが、当初は全く製品が売れませんでした(笑)。木材を張り付けて作るような集成材は、“まがいもの”だという感覚が当時は一般的だったんです。

 

父の同級生とその頃のことを話す機会があり、「お前の親父が集成材を始めてから2年間ぐらい、笑う顔を見たことがなかった」と聞きました。本当に売れなかったので苦労したようです。

3集成材が普及するに至ったきっかけ

丸尾

そもそも製材で家を建てるのが主流だった当時に、あえて集成材を製品にされたのには何か理由があったんですか?

中島

私たちも当初から製材を販売しており、主に住居の柱として使われていました。それが当時「ラワン」と呼ばれていた、今で言う「南洋材」という木材が、突然住宅業界へ入ってきたことに対する危機感でした。

 

価格も安く、品質的にも非常よく、全然敵わないのではないかと。そんな状況の中たまたまどこかで聞いた集成材の話が出ました。私たちには材木にツヤを出すための板挽きと、変形やカビを防ぐための乾燥の技術がある。できることはやってみよう。

 

そんな思いから、早速、広島県の庄原市で先駆的に製造している方の工場を見学させてもらったらところ、自分たちにもできそうだと感じたのが始まりだったそうです。製材の仕事は従来どおり行い、新しい仕事として集成材を始めました。

丸尾

それが、集成材の製品化の始まりだったんですね。

中島

集成材そのものは、その5年ほど前ぐらいから奈良県や北海道で多少やられているところがあったそうです。ただやはり当時は非常に珍しくもあり、“まがいもの”だというのが一般的な評価でした。そんな中でも、将来的には必ず売れるだろうという思いがあったのですが、実際に始めてみると全く売れなかったというのが先ほどの話です。

丸尾

集成材の様々な強みを当時から把握されていたということですよね?

中島

それはもう、価値ある物を作っていると考えていました。大きな木の固まりを乾かすのは大変ですが、板であれば、技術を磨いていけば十分な乾燥ができると。乾燥したものは板を接着しても狂いがない。強度を担保できるというメリットもあります。

 

集成材に対する需要として一番状況が変わったのは、第1次オイルショック(1973年)のときです。当時、色々な物が足りないという中で、住宅業界でも同様に木材が不足していました。需要に対してあまりにも木材が不足していたので、集成材が使われるようになり、それから集成材の良さが住宅業界に普及しました。

丸尾

オイルショックをきっかけに住宅業界における木材供給も大きく変わり、現在銘建工業は集成材の国内シェアナンバーワンですよね。そこから住宅建築における木材需要自体もどんどん伸びたのですね。

中島

そもそも1960年代の半ばの前の東京オリンピックの頃からの高度経済成長により、戸建ての住宅がどんどん建ったことが大きかったと思います。木材の供給が追いつかず、価格も上がる一方でした。

 

当時から木材に関しては、輸入が自由化されていたこともあり、特にアメリカからの木材が多く入ってきました。逆に言えば、その供給があったからこそ日本の家が建ったのですが。日本では木が戦争中に多く伐採され、かなりの木材が燃料として使われていたこともあり、これ以上切る木がないような状態だったのです。

 

そんな木材供給が細る中で、木材の需要はあるものですから、集成材の必要性も高まり、そして使ってみれば、非常に製品としても良いと評価されたのだと理解しています。

4ヨーロッパの林業と日本の林業、決定的な違い

丸尾

銘建工業が提供されている集成材は、外国からの輸入材がメインですか?

中島

住宅向けに関しては、今ではスウェーデンとフィンランドから輸入しているものが一番多いですね。国産材もありますが、住宅に関しては非常に少ないです。ただし、使いたくないから使わないのではなく、使える仕組みがないので使えていないというのが実情です。

 

今、持続可能な林業が大きなテーマになっていますが、私ども日本の建築業界は、ヨーロッパの非常に管理された持続可能な林業、木材加工業のインフラを使わせてもらっているというポジションです。

 

北米材は私たちも当初から多くの量を取り扱っていたのですが、ヨーロッパでは持続可能な形で林業経営や木材加工ができていたため、これならずっと使えるなという思いで取り扱いを始めました。ただ、ここまでヨーロッパ材に頼ってしまう状況になるとは、当初は思っていませんでした。この形は、どこかで考えないといけないと思っています。

丸尾

やはり、それだけヨーロッパの林業は優れているということですね?

中島

日本はまだまだ改善する余地…というよりも改善しないと日本の林業の将来は非常に厳しいです。林業というのは、基本的に1)植えて、2)育てて、3)伐採して、4)また植える、という循環です。しかし日本では、大半の山が薪炭向けの広葉樹の森林だったわけです。建築に使われる針葉樹というのは一部の地域に限られていました。

 

そういった中で、薪炭林業は経験しているけれども、本来の持続可能な林業と言いますか、1)植えて、2)育てて、3)伐採して、4)また植える、ということは、ほとんど経験がなかったわけです。その枠組みからは、今現在も変われていないと理解しています。これからは徐々に変わってくるとは思いますけど。

丸尾

ヨーロッパの林業と、日本の林業が大きく違っているのはなぜなのでしょう?

中島

そうですね・・・。日本はそもそも勘違いをしてしまっていたのではと思います。1980年代の高度経済成長の頃、木材の価格が高かったと言いましたが、これは明らかにバブルなんです。バブルというのは、品質にこだわったり、生産性を高めていかなくても売上がどんどん上がるため、仕事が成り立つわけです。

 

その間、ヨーロッパは品質を上げて、生産性を上げることによって、林業現場も、製材業も流通に関しても、ノウハウが蓄積され財産になっています。今の日本とでは、もう比較になりません。

 

今、ヨーロッパの林業は、山をただ残せばいいというわけではなく、山に再投資することによって、本当に元気な状態で次の世代に渡せるという仕組みができています。これは必ず日本でもやらないと林業が続けられませんし、私たちのやっている木材加工業においても、国産材をベースにしたものが非常に難しくなります。

銘建工業の工場内(CLT工場)

5「木を使い切る」仕組みづくり

丸尾

銘建工業としてこれから働きかけていることはありますか?

中島

仕事や生活においてはインフラが不可欠ですが、そこに林業としてももっと関われないかと思っています。木をもっとトータルで使えないかということを考えています。人類の歴史を見ていても、森林というのは非常に豊かな地域にはたくさんあったわけです。

 

かつて、メソポタミア文明が栄えたチグリス・ユーフラテス川の流域一帯は、本当に大きな森林がありました。レバノンスギという非常に立派な多く木があって、建築などに使います。その木材を建築や船に使うだけでなく、燃料にも使います。それでも木は多く生えていたのです。

丸尾

レバノンの国旗にも、レバノンスギが描かれていますよね。

中島

日本の場合はどうでしょう。薪や炭などの燃料は、1950年代の初めに産業として衰退しました。それから紙に関しても、日本にはパルプ産業の非常に優秀な会社があるのですが、原料はほとんど日本の材料を使っていないというのが実際です。そんな中で建築用材だけ日本の材料を使うとなると、また非常に“いびつな構造”になり、その中で木材単価がどんどん高くなるという、これまた“いびつな構造”になっていくかと思います。

 

木を丸ごとちゃんと使って、社会に活かすという仕組みができていない。この“いびつな構造”を変えていかないといけないと感じています。私たちはその中で、燃料、つまりエネルギーとして木を使う。最終的にエネルギーとしても使える仕組みが必要だと考えています。

 

私たちは木材の乾燥を始めた1960年代、そして1980年代から、小さい発電所をいくつか作り始めました。そして、地域としても仕組みが必要と考え、地域の方たちと話し合い、「真庭バイオマス発電」を作りました。木の新しい使い方ができると。地域で処理に困っていた間伐材や端材などを使って地域の電気を作ることができるのは、とても嬉しかったですね。

 

そして、本当にトータルで木を使うために、真庭にパルプ会社が欲しいと思っています。「あんた、アホか!」と言われているのですけど(笑)。冗談なしに、本当に小さい単位でパルプ工業ができれば、木材を作る製材所のポジションも変わってくる。我々木材を取り巻く環境もどんどん変わっているので、その変わった環境の中で価値のあることを仕事としてやっていきたいなぐらいには思っております。

丸尾

今ではバイオマスも出荷されていますよね。

中島

バイオマスという言葉もあいまいで、私は「木くず」だと思っています。発電所も「真庭木くず発電所」にすればよかった(笑)。ただ私個人の見解としては、「木くず」というのは馬鹿にできないんです。昔から日本人は「木くず」も無駄にせず使っていました。

 

日本においてそれが変わったのは、高度成長の時代です。エネルギー源が一気に、薪や炭から石油系のものに変わったのです。オーストリアなどは、木材をエネルギー源としても使うポジションが今でもあって、ちゃんと仕組み化されています。しかし、日本はずっとあったものを一気に捨ててしまいました。今から取り返そうとするのは中々に大変なことだと思います。

集成材の製造工程から発生するプレーナーチップおよびプレーナー屑を貯蔵するサイロ。
木質ペレット燃料(プレーナー屑やおがくずを接合剤を使わずに、圧縮成型した固形燃料)

6森がないところでも木材を使う時代

丸尾

木をトータルで利用するという点では、今CLTに力を入れられているのも一貫した取り組みですよね。

中島

力を入れても、まだまだ日本では前には進んでいないんですよね。ただ、私もよく行かせていただいているヨーロッパでは、今世紀の初めにゼロだったものが、もうどんどん増えていって、工場もたくさんできています。最近はアメリカだとか、それからカナダやチリなんかにも伝播していっています。

 

それからシンガポールでは、南洋理工大学で校舎を木造化しようということで、去年から工事が始まりました。シンガポールは都市国家で、決して森林が豊かなわけではありません。しかし今、時代の変化として感じているのは、これからは木がないところだって木を使う時代なのだと。もう木材が再生可能な資源として管理もされているわけです。

 

あるものをちゃんと使うというのが21世紀のテーマであるはずです。そういう中での木材業界、そしてその中のCLT。長期に使えて安全なCLTは、ちゃんと仕組みも作れるんです。まだまだ前に進んでいませんが、そういう仕組みに向けて進んでいきたいと思っています。

銘建工業株式会社の本社外観。

7学生時代、実は教員を目指していました

丸尾

中島さんご自身は、どういった経緯で真庭に戻られたのですか?

中島

真庭市勝山の高校を卒業し、大学進学で横浜に出ました。本当は学校の先生になるつもりだったのです。しかし、いざ教員試験を受けても全く通りませんでした。こんなことは簡単ぐらいに思っていたので、教員試験のための勉強を全くしていなかったものですから(笑)。

丸尾

そのころは、教員になられようと!?(驚) 学部は教育学部ですか?

中島

私は文理学部の文科系で、日本近代史みたいなことをやっていたんです。でも自分がまさか教員試験で落とされるとは、当時は夢にも思っていませんでした。先生にも心配され、いくつか良いところを紹介していただいたのですが、それでもダメでした。先生は「お前、謝ることじゃないぞ」と言ってくださいましたが、大変なご迷惑をおかけしたと思います。

 

その後、新聞配達の仕事をやりかけていたところ、父がたまたま…じゃないとは思うのですが、私のところに来てくれました。弱気になった私は、「1カ月ほど真庭に帰ってみます」と言って帰ってきたのが、もう本当に良かったのか悪かったのか分かりませんが、こうして今、地元で木材の仕事ができています。

8これからも、社会に新しい価値を提供できるように

丸尾

銘建工業として、これからチャレンジしていくことはどのような方向ですか?

中島

私たちは材木メーカーとしてお客さまから支持をいただければ、まだまだできる仕事はあるだろう、と考えています。1980年代に大断面集成材を取り扱い始めた時は、ただ材料の提供をするだけのつもりでした。しかし建築のこともできなければ、仕事にならないものですから、建築の分野のスタッフを入れたりもしました。

 

今度は新しくCLTという材料もできましたので、住宅関係の材料と大断面集成材とCLTとを合わせれば、社会に新しい価値が提供できるようになったかなというのは思っています。まだまだこれからですけどね。

丸尾

結構、お若い方が多いのですね。

中島

そうですね。素晴らしい方にたくさん入っていただき、皆さん本当に一生懸命に働いてくださります。熱心すぎて大丈夫ですかと、こちらから心配してしまうことも多々あります。

 

ただ、本当に色々な勉強の機会もありますので、私どもの会社にたまたま来てスキルアップして、その後にどこかに行ったりするのも非常に良いことですからね。そういう会社でもありたいなと思います。

丸尾

最後に、中島さんが日頃から大切にされている言葉などはありますか?

中島

「今あるものを大切に使い切る」と言いますか、そこに新しい付加価値を見出せれば、それが新たな仕事になるかと思っています。仕事というのは社会的な評価が必ずどこかでついてくるわけですから、自分勝手にやるわけにいきません。これからも社会に新しい価値が提供できればなと思います。

「木を使い切る」仕組みづくりで、新しい価値を。


銘建工業株式会社
国内トップシェアを誇る構造用集成材・CLTのメーカーであり、木造建築のエキスパートとして、構造設計から製造・加工、施工まで一貫対応で手掛けている。「木を使い切る」ことを大切に木くずも大切な資源として100%使い切る仕組みを確立。

お話を聞かせていただきありがとうございました。これまでの日本の林業の課題と、これからの林業のあり方を見据えて、先駆的に自ら取り組まれていることにとても感銘を受けました。まさに材木からエネルギーまで「木を使い切る」ことを企業文化にされている銘建工業を強く感じるお話でした。今回伺った銘建工業本社の社屋も、CLTを活用したとても開放的な空間で、木造の大型建物の可能性を肌で感じました。本社設計時には銘建工業社員も関わり、建築家と共同でプロジェクトを進めたそうです。(ローカルにありながら未来を感じるすてきな空間でした!)中島さんは横浜からのUターンで、木を使い切る仕組みで、林業を変えていくかえーる人でした。

 

  • 取材日:2021年3⽉15⽇
  • 撮影地:銘建工業株式会社(岡山県真庭市)