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新見地域を支える総合商社として、挑戦を続ける

田中実業株式会社 代表取締役社長

田中 康信

新見市

田中実業株式会社の代表取締役社長 田中康信さんにお話を聞きました。

 

#事業多角化
#畜産の担い手
#企業の役割
#地域事業を引き継ぐ
#魅力的な地域に

 

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1エネルギーから農業まで、幅広く事業を展開

丸尾

新見地域を代表される田中実業ですが、あらためてお聞きするとどのような会社なのでしょうか?

田中

田中実業の事業比率としては、化石燃料などのエネルギー関連がメインでおよそ9割を占めています。ガソリンスタンドの運営から、工場やホテルなど法人向けの燃料油販売を行なっています。そして、プロパンガスの提供を一般家庭、法人向けに行なっています。

 

残りの1割は、グループ子会社で製造した生コン(コンクリート)を新見エリアにて販売しています。

 

そのほか関連会社も岡山地域に10社ほどあり「肉牛の飼育・販売」、「住宅の建築・リフォーム」、「保険の代理店事業」など業種は多岐に渡ります。

 

最近は「牛肉の加工」なども見据え、後継者がいなかった新見市内の食品卸加工会社を引き継いだり、生コン運送会社も後継者がいないということで継承したところです。

丸尾

畜産も行われているのですね!?肉牛の飼育などはどのような経緯で始めたのですか?

田中

エネルギー関係の需要の変遷もあり、以前より新規事業として農業を検討していました。そんな中、新見市が黒毛和牛の地域ブランド「千屋牛」を生産する企業を探していると知りました。

 

新見市では畜産農家の高齢化などを背景に、千屋牛の生産頭数減少が課題となっています。ただ、畜産は莫大なコストがかかりますし、「担い手」を確保するためには、適正な給料を払い、休日もしっかり取れるような企業的な経営をしていかなければなりません。それなりの規模の会社が参入する必要があると考えました。

 

また、千屋牛を生産して外貨を稼ぎたいという思いもあります。地域が衰退していくのは、お金が流出していくからなんですよね。実はエネルギー業界もお金が外に出ていってしまう構造なので、その逆の商売をやりたかったんです。

後継者不足の地域企業の受け皿として

丸尾

田中実業では地域事業の受け皿となって、継続していくことに取り組んでいますが、一番のきっかけはやはり後継者不足が多いのでしょうか?

田中

多いですね。新見市だけでなく全国的にも統計が出ていますが、半分以上の会社が「後継者がいない」もしくは、「後継者が決まっていない」そうです。人口減少に伴う企業の減少は避けられません。ただ、地域にとっては無いと困る事業もあるので、そのような事業は他の会社が引き継いでいくべきだと考えています。

丸尾

自社のグループとして、事業継承する際、文化や業種の違いによるギャップなどはどう対処されていますか?

田中

企業の大小に関わらず、従業員との信頼関係やコミュニケーションが必要なのは変わりません。わが社では財務内容をきちんと従業員に伝え、アンケート調査で満足度を調査するなど、情報の共有に気を配っています。また全従業員と年1回、中間管理職とは年2回の面談も行っています。

 

会社からきちんと情報発信することで、信頼関係を気づくことができると思います。だから組織的にうまくいかないと感じたことはあまりないですね。

丸尾

地域の持続性を意識し、変化に対応しながら幅広く事業を展開する、まさに地域と一体になった企業という印象を受けます。100年近い社歴(2023年9月時点)がありますが、このような流れになったのは最近のことですか?

田中

田中実業は今でこそエネルギー関連がメインですが、もともとはセメント販売からスタートしました。その後、自動車の普及が進んでガソリンの需要が増加していく中で、徐々にそちらに舵を切っていきました。

 

大きな転換期はこの数年ですね。逆にいえば、転換ができていない時代も長くあったということです。ガソリン需要が減少して競争が激化しつつある中、新しい領域に展開できず、経営危機を迎えた時期も20年ほど前にありました。

 

そこから経営を立て直し、ある程度体力がついてきた2010年代半ば頃から、ようやく新しい事業に取り組めるようになりました。

月刊フリーペーパー「にいみいろ」を発行し、新見地域の魅力情報を発信している 

3故郷に戻り、苦境下での代表就任

丸尾

田中社長ご自身についてお伺いします。ご出身はここ新見市ですか?

田中

そうです。新見市で生まれ、高校までは市内の公立校に通いました。その後は東京の大学に進学し、卒業後は2年ほど東京で働いて、2003年にUターンしました。

丸尾

故郷に戻るきっかけは何かあったのですか?

田中

当時社長だった父から、初めて「そろそろ帰ってこい」と言われたんです。それまで跡を継げと言われたことはありませんでした。

 

当時は、店舗の閉鎖や、組織の縮小など経営的にかなり厳しい状況でした。

 

そんな中、2003年4月の入社後はガソリンスタンドや子会社、工場などを経験し、1年後に本社に戻りました。そして、入社して2年9か月後に代表になりました。

丸尾

そのタイミングで代表になるというのも大変ですね!?

田中

そのころ、ガソリン需要の減少を見据えて何か「新しい事業を始めよう!」と提案しても、それまでの従業員たちからは「新しいことはしなくても、今までのことをきちんとしていれば黒字になるんだ」と根性論のような意見も当時はありました。

自律的に変化していく企業に

丸尾

そこから利益体質を改善し、いろいろなことにチャレンジしてきた結果、地域になくてはならない会社となったんですね。従業員の考え方も時代に合わせて変えていく必要があるかと思いますが、その点で意識している部分はありますか?

田中

やはり新しい人材や、若い人材を入れないと、組織や人の意識を変えるのはなかなか難しいですね。しかし、50年後にガスやガソリンの事業があるかというと、なくなっている可能性が高い。会社として従業員を雇い続ける以上、新しい業域や事業にチャレンジしていく必要があります。

 

2015年頃にはこれからの会社の方向性を定めるためのプロジェクトを企画し、全従業員への発信を始めました。その辺りから少しずつ全体の意識も変わってきた印象です。

丸尾

社長として今後どのようなビジョンをお持ちでしょうか?

田中

「どんな事業をやっていくか」はその時々で変わっていくとは思います。経営者による先導はある程度必要ですが、従業員も経営者目線の感覚を持ってアンテナを高くし、自主的に変化していくような会社を目指したいですね。

地域発展する仕事を増やし、魅力的な地域に

丸尾

現在、商工会議所会頭を務められていますが、地域への思いをお聞かせください。

田中

新見市が抱えている課題はさまざまありますが、根本的な原因は人口減少です。まずは人口の維持を最優先に取り組んでいく必要があると、企業として、そして会頭として発信していこうと考えています。

 

そのためには地域全体の所得を上げる必要があります。田中実業がいろいろな会社を引き受けているのも生産性を高める一つの手だと思いますが、これをもっと広げ、業界ごとに協力し合う機運が醸成できればいいですね。

 

また、魅力的な仕事も必要です。新見市の基幹産業は「石灰業」が断トツで、その次が「建設業」です。多くの自治体で一番規模が大きい産業は「建設業」ですが、建設業は外貨を稼げる産業ではありません。そういう意味で、外貨を稼げる「石灰業」が断トツの新見市は多くの自治体の中では有利です。待遇がよく、地域の発展につながるような仕事が増えれば、若い人にとっても魅力的な地域になると思います。

丸尾

最後に、田中社長が日頃から大切にしている言葉やモットーはありますか?

田中

「人間性」を大事にしています。人の上に立つためにはもちろん能力も必要ですが、それ以上に人間性が高くないと、組織を動かすことは難しいと思っています。

 

かつて田中実業というブランドは、あの会社に入ったらどこでも通用する人になれるという評価を社内外からいただいていました。そこをまた目指したいと思っています。会社で働くことを通じて従業員の皆さんも人間性が高くなっていって、いろいろなところで活躍する人が出てきたらうれしいですね。

新見地域を支える総合商社として、挑戦を続ける

田中実業株式会社

1931年創業の総合商社。ガソリンスタンドの運営や石油製品・プロパンガスの販売などのエネルギー関連事業を主軸としつつ、農業や住宅のリフォーム、保険事業など幅広い事業を展開する。

お話を聞かせていただきありがとうございました!
「新見地域に必要な事業を引き継ぐ」という姿勢や、地域に対する想いに感銘を受けました。また、組織づくりにおける従業員との信頼関係づくりなど、経営者としても大切なお話をいただきました。お話を伺いながら、田中実業は新見地域とともにある企業であると感じました。田中社長は東京からUターンで、新見から様々な事業で地域を変えるかえーる人でした。

 

  • 取材日:2023年9月12日
  • 撮影地:田中実業株式会社(岡山県新見市)
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