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[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します

とにかく「おいしくて幸せである」ことっていうのは、絶対に鈍らしてはいけない所。そしてその幸せが繋がっていること

ablabo.(アブラボ) 

大林由佳

西粟倉村

岡山県にある、ablabo.(アブラボ) 大林由佳 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。

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1はじめに

丸尾

それでは、よろしくお願いします。

大林

よろしくお願いします。

丸尾

大林さんは油をつくられているそうですね。

大林

そうですね。油をしぼってつくっています。
今は、岡山県津山市(ここ西粟倉村から車で1時間15分くらいにある)の神谷油脂製油工業所の94歳の油しぼりの師匠に弟子入りしています。

丸尾

津山市にある製油所!?かなり歴史のあるところですよね?

大林

そうです。もう60年ぐらいずっとされている方で、その方に油のしぼり方を教えていただいていて、でゆくゆくは自分の搾油所を持つための勉強しながら、原料の確保のために走り周ってという感じですね。

丸尾

その原料というと・・・菜の花とかですか?

大林

そうですね。菜種油をしぼっているので菜の花がメインですね。

2もうねぇ、いい油ってね、本当においしいんですよ。

丸尾

普通に生活している私達からすると、なんか油って当たり前にたくさん流通していて、すぐに手を伸ばせば当たり前にあるものですし、簡単に手に入るものです。それをご自身でつくろう!と思ったなにかキッカケがあったのですか?

大林

あります。もうねぇ、いい油ってね、本当においしいんですよ。(笑)一昨年の1月に小豆島を訪れたんですけど、そこでそうめん工場の見学に行かせてもらったんです。

丸尾

そうめんって、そうめん(素麺)ですか?

大林

そうです。お素麺は小豆島特産なので。その素麺をつくる製造過程の話なのですが、最後に素麺を干すところで、竿に細くのばした素麺をかけて干していくんですよ。乾燥させていくんですけど、その竿にかかってる部分、U字の部分を最後切りとるんです。そして使わなくなるその部分は節麺(ふしめん)と呼ばれます。

丸尾

“まっすぐじゃないところ”ですね。

大林

その節麺の部分を小さくして、素揚げしたものを地元では、お菓子みたいな感じで食べられているそうです。その素麺の作られる行程を見学している途中に、その節麺を揚げたものが、おつまみで出されたんですよ。
“食べてごらん”って言われて、ポリポリ塩をつけながら食べていたら、その素麺屋のおじちゃんが“これもつけて食べてごらんよ”って言われて持ってきたのが、小豆島産のオリーブオイルでした。でも、“揚げ物に油つけたらあかんやろっ”て思ってたんです。(笑)
すごい半信半疑で言われるがままにつけて食べてみたら、すっっっっっごいおいしくて、それが!!衝撃が走ったんです。本当にそれから油ってすごいってなって考え始めました。

丸尾

そんなにおいしかったんですか!(驚)そもそも油っておいしいんですね?

大林

そうなんです!それで色々調べていったら、油ってすごくたくさんの種類があって、ちゃんとしぼろうと思うとすごく時間がかかったりとか、本当にいいものだし、健康にいいものであるのに流通がほとんどされていないですし。“油は安い”っていうイメージが強すぎてしまっていて、いいものが売れないっていう状況はやっぱり嫌だというか寂しいと思って、それをなんとかしようと思ったのが、油の道に入るキッカケでした。

3“新しいことを起こしていく力”に惹かれて西粟倉・森の学校へ

丸尾

なるほど。“油がおいしい”という体験があったからなのですね。もともと大林さんのご出身はどちらでしたっけ?

大林

兵庫県の北部のほう、但馬地方です。

丸尾

今の西粟倉村に来られるに至ったのはどうしてですか?

大林

大学で大阪に出て、大学に通っている途中で何かインターンシップをしようと思って、色々調べていました。そうしたら西粟倉村にある“森の学校”という会社が、まだ立ち上げ段階の時でした。

丸尾

6年ぐらい前ですかね。

大林

そうですね。森の学校がその頃にインターンを募集していたので、それが西粟倉村に来たきっかけですね。

丸尾

森の学校がやっていることに興味があったのですか?

大林

もともと起業に興味があったというか、自分で仕事を作っていくって、これからの生き方としていいんじゃないかと思っていました。もちろん就職活動とかは大学時代も色々言われているところでしたけど、自分なりのやり方で生きていく術を身につけたいなと思っていました。そういうことを学べる場所として、これから会社を立ち上げて行く森の学校はすごくぴったりだったんですよ。
だから、やっている内容というよりかは、“新しいことを起こしていく力”に惹かれたと言ってもいいですね。

4“油?なんでまた!?”(驚)みたいな感じでした(笑)

丸尾

そういうことだったのですね。インターンで入られて、その後そのまま入社された形ですか?

大林

そうですね。大学卒業まではインターンとか、業務委託とか、ボランティアとか、そんな形で手伝わせてもらって、卒業と同時に入社しました。

丸尾

森の学校でのお仕事はどういったことだったのですか?

大林

1年目は森の学校のカフェプロジェクトを担当していました。その後はオンラインショップの運営など、基本的にはB to Cの営業をさせていただいていました。

森の学校の社長にも“いずれは独立したいと思っている”という話しは、ずっとしていました。だからある時、“私、油でやっていこうと思うんです”と伝えました(笑)

丸尾

反応はどんな感じでしたか?

大林

“油?なんでまた!?”(驚)みたいな感じでした(笑)

丸尾

その後、森の学校を出られて、アブラボとして活動を始められたのですね?

大林

初めは、休みの日を使って油のことを調べたり、搾油している現場にお邪魔したり、活動を少しづつ始めていきました。森の学校も忙しかったので、なかなか油に力を傾けられてなかったです。頭の中は油でいっぱいだったんですけど(笑)

5初めて会いに行ったその場で、弟子入りしてしまった

丸尾

基本的には菜種油なんですね。オリーブオイルとかは扱わないのですか?

大林

そうですね。もともとは油全般でした。とにかく“植物油”っていうものが大好きで、あくまでオリーブオイルも菜種油もその中のひとつに過ぎないんです。油で起業しようと思っていた初めの頃は、油をはじめとした調味料を扱う小売店をしようと思っていました。いずれ仕入れたいと思うもののもとへ足を運んでいました。
そんな時に知り合いから教えてもらったのが、今修行に行ってる津山の製油所の師匠でした。その方に会いにいって、はじめは“仕入れさせてください”ってお願いをしに行ったつもりだったんですよ。でも話をしていたら、その方は94歳で後継者がいないという話を聞きました。“それはいかん!”と思って、仕入れたいものが、いずれなくなってしまうっていうのは、阻止しないといけないって思ったので、“私がしぼります!” って(笑)(笑)(笑)
初めて会いに行ったその場で、弟子入りしてしまったという(笑)

丸尾

フットワークすごく軽いですね!(笑)日本の油といえば、昔から菜種油ということなんでしょうか?

大林

歴史的なことを紐解いていくと、“えごま”、“菜種”あたりが、日本では昔から主流でした。その師匠がつくられているのは、戦争から帰ってきてすぐに、日本には油がないという危機感とか、ご自身が天ぷらをすごく好きだっていうのもあって、油づくりを始められたそうです。戦後ではあるけど、昔からのやり方で作られているものです。
それに比べ安くて市場に出回っている油っていうのは、食べ物というよりかは製品としての性質のほうが強いと思っています。市場に流通している通常の油は味がないんですよね。

丸尾

たしかに、そんなに味があるわけではないですよね?・・・そういうものだと思っていますが。

大林

“油は味がないのが当たり前”というのは、日本の大量消費社会が進むにつれてつくられた結果の認識だと思い、それをくいとめたいと言うのはありました。
もちろん、通常出回っている油が必要な場合もあります。
でも、それよりも、なんて言うんだろう、1つ1つ家族家庭にちゃんとしたものを届けたいっていう気持ちはあります。食卓を彩るものが、おいしいもののほうが幸せじゃないですか。

丸尾

そうですね。おいしいほうがいいですね。

大林

だから、“おいしいほうがいい”という気持ちに応えるために、油もおいしいものをつくろうという想いで今はやってます。

6地域づくりは風景づくり。生み出されるものがもとに還元されるサイクルが必要。

丸尾

農作放棄地を使って、その菜の花を植えられているっていうことですけれども、やっぱり菜の花を植える所は、探されてるんですか?

大林

厳密に言うと、私自身が農業をできる技術もないし、キャパもなくて、そもそも油をしぼって売ることが私の仕事です。だから原料をつくるところはできる方におまかせしたいなと思っているので、場所と人も含めて、菜種がとれる場所は探してます。

丸尾

岡山県北地域でも、休耕田とか、農作放棄地っていうのをどうやって活用したらいいかっていうことは、よく耳にします。そういったものも活用して、その岡山県の眠っている資源を活用しながら、新商品が産まれてくるということに繋がったらいいですよね。

大林

そうですね。そこまでやりたいですね。やっぱり岡山県産のものをつくりたいっていう気持ちはあります。昔はどこも菜の花畑だったと聞きます。今こそ、お米つくりの時期が少し早まってしまったから、菜の花と重なってしまって、できないんですけど、昔はお米を植えた後は、菜の花を植えるというイクルだったので、本当にどこも菜の花畑が広がっていたはずなんですよね。
それがいつの間にかなくなってしまったっていう、昔の原風景を取り戻すっていうこともやりたいなと思っています。

丸尾

以前、かえーる人の取材で木工房ようびさんに伺った時も、“やがて風景になるモノづくり”がしたいと言われていました。

大林

西粟倉村でも地域おこしなど色々言われてますけど、“地域づくりは風景づくり”なんだなとすごく思っています。もちろん林業も山がうっそうと茂った森じゃなくて、光の届くきれいな森にしていこうっていうのも一つの風景づくりで、その風景をつくるために必要なもの、そして生み出されるものがしっかりともとに還元されるというサイクルができないと、地域というのは健全に立ち直ってはいけないなと思います。やっぱり林業も菜の花づくりも一緒なのだと思いますね。

7ご飯を食べる時にみんなが笑っている。それが当たり前だと思っていた

丸尾

それでは、もう最後になるのですけれども、大林さんが油づくりとか、地域に対して活動をされている上で、大切にされていることはありますか?

大林

とにかく“おいしくて幸せである”ことっていうのは、絶対に鈍らしてはいけない所だと思っています。自分で言うのも変ですけど、私自身、田舎のわりと温かい家庭で育ったので、ご飯を食べる時にみんなが笑っているということは当たり前だと思ってたんです。でも大学にでて、一人暮らし始めたり、色んな人と会う中で、必ずしもそうじゃないんだということに気づいて、すごくさみしいと感じました。
そのきっかけとなるものは、やっぱりおいしい料理だと思います。
そしておいしい料理ができるってことは、つまりお母さんが料理をする人が楽しくないといけない。料理をする人が楽しいためには何が必要かと考えると、自分が使っていて充実感のある素材だと思うんです。
最近、“顔の見える食材”など色々言われてますけど、油ももちろん一緒で、“この油を作っているのはあの人”。“この野菜作っているのはあの人”とか、思い浮かべながらご飯を作る時って幸せなんですよね。その幸せが最後、みんなで食べるところまで繋がっていることっていうのは、すごく大事にしていますね。

とにかく「おいしくて幸せである」ことっていうのは、絶対に鈍らしてはいけない所。そしてその幸せが繋がっていること

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ablabo.は岡山県の小さな村、西粟倉村にある油屋。美味しい油で少しでも多くの笑顔が生まれるよう、一滴一滴心を込めて油を搾っています。また、その美味しい油の魅力をたくさんの方に伝えるためにイベント活動も行っています。

お話を聞かせていただきありがとうございました。油に対する思い、そして油を通して実現したい強い想いを感じました。これから岡山産の油、すごく楽しみです!大林さんは兵庫県出身で、大阪から西粟倉村にIターンのかえーる人でした。

  • 取材日:2014年11月4日
  • 撮影地:西粟倉村
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