[Uターン・Iターン・移住]
いーなかえーるは、岡山県北の
求人情報をご紹介します

岡山県北で求人広告をお考えの企業様

[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します

やりたい仕事があるからここに住む。若い世代にそういう生き方の選択肢をつくりたい

村楽エナジー株式会社 

井筒耕平

西粟倉村

岡山県にある、村楽エナジー株式会社 井筒耕平 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。

index

1はじめに

丸尾

それでは、井筒さんよろしくお願いします。

井筒

よろしくお願いします。

丸尾

井筒さんは、村楽エナジーという会社を、運営されています。
再生可能エネルギーに関する仕事をされているそうですが、これはどういったことをされているのですか?

井筒

自然エネルギー、再生可能エネルギーと言っても、すごくわかりにくいと思うのですが、エネルギーの用途は、“電気”と“熱”と、あと“輸送”の3つに分かれます。

丸尾

エネルギーの使われ方ですね。

井筒

その用途3つを生み出すことができる自然エネルギーといえば、“太陽”と“風”と“木”と“水”と、あと“地熱”の5つです。
例えば、そのうちのここ西粟倉で主に使われているのは、木と水と、あと太陽です。

丸尾

西粟倉は小水力発電を昔からやっているそうですね。

井筒

西粟倉は昭和41年から小水力発電をしています。これはすごいです。

丸尾

小水力発電とはどういうものなのでしょう?

井筒

普通の水力発電は、ダムなどで水をためて、落とす形です。
でも小水力発電はダムをつくりません。川が流れてるじゃないですか?
川の水を一部別水路で分岐させます。そして水路で1.8キロほどそれとほぼ同じ高さでもっていきます。

丸尾

水を同じ標高のまま水路で引っ張るんですね。

井筒

そうすると引っ張った先に、そのまま流れる川と高低差ができます。そこから川に向かって水を落とすんです。

丸尾

その落とした先に水力発電機があるということですね。

井筒

大体、69メートルの落差があります。
水を落として、発電して、元の川にもどす。という発電です。

丸尾

なるほど。考え方はシンプルですね。

井筒

それをダムでやらないということです。普通はダムで大量に水ためて、その落差をつけるんですけど。小水力発電だと環境への影響も少ないというのもありますし、規模も大きくないです。

丸尾

大規模な建築物や設備が必要ないということですね。
昔からやられてるということは、この辺りの電気はその小水力発電がまかなっているということでしょうか?

井筒

そうですね。この辺りもけっこう小水力発電ですよ。一カ所で290キロワット発電できますので、この数字はちょっとわかりづらいんですけど、440世帯分なんですよ。村が約570世帯なので約8割くらいになります。家庭用だけなので業務用は抜いてですけどね。

鬼搬が気になる方はこちら(鬼の搬出プロジェクト)

2エネルギーは導入することが目的ではなく、何かを達成するための手段

丸尾

西粟倉・森の学校ともやられてるようですが、“薪ボイラー”ですよね。

井筒

そうですね。この村は林業が盛んなので、木をいっぱい出しています。
でも出てくる木は、良い木ばかりではなくて、良くないものもでます。
山の中で一つ一つ良い、良くないを選ぶことは大変です。
だから全部トラックに積んで山を下りてきて、木材をAランク、Bランク、Cランクというランク分けするんです。
例えばAランクのほとんどは、西粟倉・森の学校や家具屋さんに行きます。私たちはCランクのものを扱います。

丸尾

ランク分けして、それぞれ行き先が違うんですね。

井筒

Bランクの木材は、合板(ごうはん)という重ね合わせたボードに利用されていたり、Cランクの木材は今までは紙の原料になっていました。
全部村の外に出て行ってしまっていたんですけど、もったいないから村の中でエネルギー利用しようと思ったんです。

丸尾

Cランクの木材・・・それは、どちらにしろ発生するものですしね。

井筒

そうです。どちらにしろ発生するものです。もう少し村できちんと使っていくべきだと思っています。例えば村に温泉が3つあるんですが、出てくる温泉の温度は14度なんですよ。

丸尾

14度?(驚)

井筒

けっこう冷たい水ですよね。プールの水と同じようなものです。それを灯油であたためて、灯油がリッター100円だとすると、年間1,200万円かけてるんですよ。
その温泉に薪ボイラーを導入することによって、500万円を削減して700万くらいには削減できるんじゃないかと考えています。

丸尾

そんなにも削減できるのですね。

井筒

山の木を中にとどめて有効活用するということは、外に出ていた1,200万のお金を、村の中の木に払うということです。外国にお金が行くんじゃなくて、村にとどめるという選択です。

丸尾

村で循環させることができるということですね。

井筒

そうです。今まではお金も木材も全部が外に出ていたんですが、お金とモノが循環するように。
木を売ればもちろんお金は入ってきますが、単価が安いんです。
温泉の薪ボイラーに使う場合、もっと高い単価で買っています。その高い単価で買ってもそれだけ削減できることになります。

丸尾

外にでていたお金とモノを村内で循環させる。
外に売るより高い単価で売っても、コストは下げることができる。素晴らしですね。

井筒

だからエネルギーは、導入することが目的ではなくて、“導入することによって何かを達成”する手段だと、僕は思っています。その手段をうまく活用しながら、村の働く人も増やすことができるし、達成できることがいくつもあると考えています。

3ある時、なんだか先が見えてしまったような感じがした。

丸尾

エネルギーのことは、どれくらい以前から考えられたり、活動されていたんですか?

井筒

2003年くらいからやっています。以前は東京の環境エネルギー政策研究所という、自然エネルギーのシンクタンクで働いていました。

丸尾

シンクタンクですか。業務としてはどんなことだったのですか?

井筒

エネルギーのことは国が決めてるんですよね。だから国会議員に働きかけたり、提案を行うことでした。衆議院議員会館にもよく行きました。

丸尾

もともと学生時代からエネルギー関係のことを学ばれていたのですか?

井筒

実は最初は全然違うところでした。僕、海関係の人だったので。
最初の大学は、北海道大学の水産学部でした。練習船とか乗ったりしてました(笑)

丸尾

うっ海?(驚)そうだったんですか!?

井筒

なかなかおもしろかったですよ(笑)その後は、静岡の企業で働きました。

丸尾

その企業はやっぱり、海関係ですか?

井筒

そうです海関係。コンテナターミナルってわかります?神戸港などに大きなトレーラーが走っているじゃないですか?あの箱って船に乗せるための箱なんですけれど、それを清水港で積んだり降ろしたりするプランナーをしていました。

シンガポール、ジャカルタ、バンコク、日本も東京、清水、名古屋、神戸とぐるぐる回る船があるとするじゃないですか。その船にコンテナ積む順番や、どこに積むかですね。

先にシンガポール行くのに、ジャカルタが上に積まれていたらダメですよね。
だから日本の他の港と連絡をとりながら計画をするんです。
そして実際に作業員の方に指示を出して監督もしていました。

丸尾

その後、海関係からエネルギーの方に移られるきっかけがあったのですか?

井筒

海人間。それはそれでよかったんですけど、Iターンのみなさんもそうかもしんないけど、規模の大きい企業で働いていて、部長がいて、課長がいて、ある時なんだか先が見えてしまったような感じがしました。
でもそこで自分がやりたいことは何か考えたら、その時はやりたいことなかったんですよ。
まだその時は、“エネルギー”に到達してなかったんですよね。そこでとりあえず大学院に行き直すことにしました。

4当時のエネルギー分野といえば、まずイシューにすることが僕らの課題でした

丸尾

それはどちらに行かれたのですか?

井筒

愛知県出身なので、地元に戻って名古屋大学大学院の環境学研究科に入りました。
そこで今も師匠の先生に出会いました。その先生は“これからは田舎だ!”と(笑)

丸尾

そのころ田舎だ!といわれても難しいかもしれませんね。

井筒

2003年ぐらいですからね。今でこそ田舎という方向性はわかるんですけど。

丸尾

そこでエネルギーの分野も学ぶことになったのですか?

井筒

そこに通いだして、“持続可能な社会をつくろう!”という命題が研究室にありました。
人口問題とか、山の問題とか、色々あるんですけど、ぼくはエネルギー問題が一番わかりやすいかもと思ったんです。
そして先生に“エネルギー代いくら払ってるのか計算してみろ!”と言われて、
ガソリンスタンドや、LPガス屋さんなどにヒヤリングに行きました。
そうしたらここ西粟倉と同じぐらいの村の規模で年間4億7000万円のお金を外に払っていたんですよ。

丸尾

すごく大きい金額になるのですね(驚)

井筒

みんな化石燃料に頼ってますからね。でも、その村も木がたくさんありました。
そんなところから始まり “最先端はヨーロッパだ!”とか言って、ヨーロッパにも行きました。
日本ではほとんど広まってなくて、全然ムードがない中でやり始めたので、ニッチなマニアックな感じが結構おもしろかったです (笑)

丸尾

本当に今だったら“エネルギー、エネルギー”って、当たり前のように言われていますよね。

井筒

震災以降はトップイシューじゃないですか?
当時は全然イシュー化されていませんでした。だから、まずイシューにするってことが僕らの課題でした。

5『今を楽しく』がモットー。停滞したらすぐに変化する。

丸尾

岡山県に来られようと思ったきっかけはなんだったんですか?

井筒

東京の環境エネルギー政策研究所で、エネルギー計画とか、国がやろうとしていることに対してのアドバイスなどを仕事としていました。

それもすごく重要な仕事なんですけど、なんだか地に足が着いてない感じがあったんです。
おそらく現地で自分が動いてないからからかなと。
地方に行って活動もするべきだなと考えるようになりました。

そんな時、岡山県の備前市であるエネルギー関連のプロジェクトを立ち上げる話が偶然あって、行きたいと思ったことがきっかけですね。それが2005年のことです。

丸尾

その時期に、“地方に移住”という考え方もまた(笑)

井筒

岡山も移住の人気全くなかったですし、移住自体そもそもあんましなかったですよね。
その頃からもう10年くらいずっと岡山ですけど。

丸尾

その後、美作市に移られましたよね?

井筒

そうですね。備前で自然エネルギー事業を5年間やって、行政にアドバイスすることも多くなりました。エネルギービジョン作りや“報告書の裏はこうしたほうがいい”みたいなところまで。
いわゆるコンサルティングの仕事です。

でも自分が動かないのにこんなのばっかり作っていても、あまりおもしろくないと感じるようになりました。木も切ったことがないし。そうしたら、車で30分くらいのところの美作市上山の協力隊がガンガンやるタイプだということを知りました。
“こんな近いとこで、こんなおもしろいことしてる”と思い、美作市上山に移りました。修行ですよね(笑)

※上山集楽・・・耕作放棄地となった棚田の再生からスタートした、中山間地域の可能性を引き出す新たな取組み。

丸尾

結構ハードな修業ですよね(笑)

井筒

一応、モットーとしては、『いまを楽しく』っていうことがあります。
とにかく“今を大事に”する。その意味で“今の積み重ねが老後をつくる”と考えています。
だから“老後を気にして、今を我慢する”のはやめようと思っているので、“停滞したら、すぐに変わる!”これが私のモットーです。

6研究者の立場も忘れないで、実践型ですね(笑)

丸尾

そして西粟倉村で村楽エナジー株式会社を起ち上げられたんですね。

井筒

美作市上山にいた時も、林業で結構こっちのほうに通っていました。
となりの美作市東粟倉や梶並にも。
そのころからもっと林業や再生可能エネルギーをしたい気持ちが強くなって、僕ができる仕事をしたいと思ってここ西粟倉に来ました。

どこか遠くに行くという選択肢もあったんですけど、西粟倉でバイオマスエネルギーに関することで去年からコンサルにはいっていたので知っていたのもありました。
それと奥さんからも、“西粟倉いいんじゃない”って。“今遠くに行くなんて途中からやめているようなものじゃない?”みたいな話になり“西粟倉で一発やるか!”となりました(笑)

丸尾

最近井筒さんのFacebookやWEBサイトにアップされている写真をみると、木を切ってる写真をよく見かけますね。

井筒

実践型ですね(笑)
実践しつつ研究者の立場も忘れないでおこうとは思っています。

丸尾

やっぱり、現地で実際にやってみるのは、全然違いますか?

井筒

やっぱりお金や体力、そういうことが直接わかります。
結局、普及しようと考えた時にそういったお金とか、物理的にどれだけ大変かという問題が大きいですからね。

7固定化させないように、新しいアイデアをどんどんいれて、次の世代に

丸尾

お子さんがお二人いらっしゃいますが、この西粟倉で育てるということで良いと感じられることはありますか?

井筒

それはすごく、たくさんありますよ!

五右衛門風呂もいいし、薪を一緒に割るというか、僕が割っているのを横で見てるとか(笑)

あと、森の幼稚園に行かせてるので。それ本当も楽しいですね。まぁ、高校ぐらいから、外に出てもいいんじゃないかなと思っています。
とりあえずどこでもいいから一回は外に出る必要があると思っています。そして、できれば帰ってきてほしい。

丸尾

そうですね。

井筒

昔は、“帰ってこない”みたいな感じだったのかもしんないですけど、“ここ最高だよ”って言って、とりあえず“鍛えてこい”と言って外の空気を知って帰ってきてもらいたいですね。

丸尾

やっぱり外で何かを得て、この地域に持って帰ってくれるっていうことも大切ですね。

井筒

若いうちにね。遅くても30代ぐらいまでには。海外含めて外で働いて帰ってきてほしいですね。うん。それ大事!今の親世代が、「帰ってこい」って、みんなが言えば、ちゃんと帰ってくると思うんです。

丸尾

しかも、“その帰ってこい”が、ポジティブな意味になっているべきですよね。

井筒

“ここがいいから、帰って来れる”ってね。
いーなかえーるで取材されてる人達も仕事をつくってやっている人達ですから、“仕事あるよ、しかも楽しい仕事、クリエイティブな仕事だよ”ということで。
固定化させないように、この地域にさらにもっと新しいアイデアをどんどんいれて、次の世代につないでいきたいですね。

8使われてない資源を手段として、複合的に体験、価値をつくりだす

丸尾

井筒さんが、これから村楽エナジーの活動を通して、実現していきたいことはありますか?

井筒

これから薪ボイラーを入れて、温泉施設を運営していく計画もあります。

丸尾

温泉!?(驚)それは面白いですね。

井筒

ただ、そういうところは村の今は使われていない施設です。
とりあえずこの地域の使えてない資源、自然資源であろうが、人工物であろうが、それらを色々活用して行きたいですね。

丸尾

先ほど“エネルギーも手段”と言われていましたね。

井筒

そうです。温泉もこの場をどれだけ楽しくできるかという1つの手段として、ここで住む事の必然性を高めて行きたいです。
住んでるけど外に働きに行くんじゃなくて、ここに仕事があるから住んでいるという形ですね。
村楽エナジーを通じて、特に若い世代、子育て世代以下の子達にそういう生き方を選択肢としてつくっていきたいと考えています。

再生可能エネルギーという分野は、時計でいうと朝7時の業界です。
逆に地方の温泉産業はおそらく斜陽産業と言われていたりします。
だから、どっちもやろうと思っています(笑)

“エネルギー”って言うと取っ付きづらいところがありますが、“温泉”だったらみんな好きなものだと思いますしね。

だからそれをうまくミックスさせて、温泉にみんな来んだけど、ちょっとエネルギーみたいな。
薪を割ってみようとか、山にも行ってみようとか。村ともそういったツアーの相談をしています。

コンセプトとしては、使われてない資源を手段として複合的な体験、価値をつくりだすということです。
そこにこれから常に力を注ぎ込んでいきたいですね。

やりたい仕事があるからここに住む。若い世代にそういう生き方の選択肢をつくりたい

turns18-10

sonraku-energy-logo

岡山県西粟倉村に拠点を持ち、バイオマスエネルギーを中心とした再生可能エネルギーの活用を促進するためのコーディネート、実践等を行うコンサルティング会社。

お話を聞かせていただきありがとうございました。“ここがいいから、ここに帰ってきたいと思える地域に”すごく共感するお話でした。井筒さんは愛知県出身で、東京から岡山県北にIターンのかえーる人でした。

  • 取材日:2014年11月20日
  • 撮影地:西粟倉村
岡山県北で
はたらく
くらす
かえ~る人