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[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します

地域に向けて、自らが取り組む新聞社に。

株式会社津山朝日新聞社 代表取締役社長

福田 邦夫

津山市

株式会社津山朝日新聞社の代表取締役社長 福田 邦夫さんにお話を聞きました。

 

#故郷を離れた人 #故郷にいる人
#創業100年を超える企業を継ぐこと
#地域におけるつながり
#これからの地域新聞社の役割

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1岡山県北で創刊100年を超えるコミュニティー新聞

丸尾

それでは津山朝日新聞社さんと言えば、まず「津山朝日新聞」について教えていただけますか?

福田

「津山朝日新聞」は岡山県北で111年目(2021年6月時点)を迎える地域のコミュニティー新聞です。夕刊として毎日お届けしています。

津山朝日新聞には夕刊(日刊)と、月刊がある
丸尾

ちなみに“日刊”の朝日新聞だけではなく“月刊”の津山朝日新聞もあると聞いたことがあるのですが。

福田

はい。津山朝日新聞は基本は夕刊で、毎日出ている新聞なのです。そして実は、毎月一回のダイジェスト版にまとめた月刊版もあります。津山にゆかりがあり地域外に住まれている方向けの位置付けです。故郷(ふるさと)を離れた人こそ、ここ岡山県北地域の情報が欲しいのではないかと思い発行させてもらっています。

丸尾

津山朝日新聞の夕刊は、私の会社にも届いていて読ませていただいています。月刊の方は“県外在住の向け”に出されているダイジェスト版なのですね。(驚)

福田

はい。月刊の方は、夕刊(日刊)に比べると発行部数は少ないですが、定期購読いただいてる方は本当に全国津々浦々です。ときどき購読料振込用紙などにも「本当にこういう情報はありがたい!」などコメントを書いていただけたりなど嬉しい声もいただきます。

 

もちろん地域向け夕刊の方が発行部数は断然多いのですが、月刊の方は発行部数に対してあれほど反響がある媒体もすごいかと思います。とてもやりがいを感じています!

窓枠などもレトロな印象、歴史ある本社建物でお話を伺った

2私たちにとって当たり前の風景の価値

丸尾

私自身も以前、東京からUターンで戻ってきているんですけど、やっぱり東京にいた時も地元って今どんな感じなのかな?というのはすごく気になっていたように思います。

 

津山地域出身で地域外に出られている方も、地元のことを知りたいと思っている方は結構いらっしゃるというのも私自身の経験からも理解できますね。

福田

そうですね。一度地域外に出て、生活の基盤をほかの地域で確立した人は、懐かしむことはできても、なかなかこちらに移住したり、旅行で来るにしても、なかなか難しいところもあると思うので。地元にいる私たちにとっては当たり前の風景が、とてもノスタルジックに感じたり、価値があるものなのだと実感しますね。

丸尾

津山朝日新聞は、内容的にはどういったことを主に取り上げ、掲載されていますか?

福田

この津山地域を中心に、岡山県北の生活に根差した情報ですね。生活に必要だと思われる情報を積極的に書かせてもらったり、文化的なところ、特に歴史や文化事業に関しては情報提供いただくこともとても多いので、すごく丁寧に伝えていきたいと考えているとことでもあります。

丸尾

新聞以外にはどんな事業をなさっていますか?

福田

自社で新聞の印刷をしているといるので、もともと新聞の印刷以外の時間を使って印刷業を始めた経緯があり、印刷事業もしていたり、イベント事業などもしています。

 

イベントですと、例えばスポーツ、野球大会とか、将棋、囲碁、コンサートとか、そういったものも、後援だけじゃなくと、結構主催となってやることが多いので、これからも力を入れていきたいと思っています。

津山朝日新聞社の1F本社工場、新聞印刷に使用する輪転印刷機

3東京にて大学卒業後に広告営業。そして津山へ

丸尾

福田さんが現在に至る経緯を教えてください。

福田

津山市出身で、大学進学で東京に出たのですが、大学時代に大きな病気になりまして、療養で2年ぐらいを過ごしました。療養で2年遅れて卒業したのですが、卒業後は東京で、シニア向けのメディア企業に入社し、それから10年くらい働きました。

丸尾

地元である津山に戻ろうと思われたきっかけについてはどうでしたか?

福田

東京で働いていたその会社で、私は営業を担当していました。朝刊に折り込まれている別媒体の新聞がありますが、そのシニア向けの媒体を担当していました。新聞も記事を読むより、まず広告だけ見て、朝に広告を出していた会社に電話して、アポが取れたら企画書を作って提案にいくという活動をながくしていました。

 

その活動を繰り返していると、ある有名な音楽関係の団体大手から広告依頼をいただけて、何度もそこに通っている内に、「ぜひ、広報として、うちの団体に来てくれませんか?」と言われました。

 

そのときに私は広告の営業で来ているのでが、「実は僕、音楽のことは全然知らないです」と告白しました。「営業として努力はしてある程度は話ができるような状態にしていますけど――」という話をしたら、「そんなことは最初から分かっていた。でも“分かっている人”が“分からない人”に説明するのではなく、“分からない人”が分かりやすく“一般の人に伝える”という方法が、あなただったらできると思う」と言われました。

 

そう言われると、ちょっと前向きに考えないといけないなと・・。
でも、今いる会社から移るのも・・・。大きな会社ではないけれど、本当に充実した会社だったので、裏切るわけにはいかない。また、地元の津山のこともありますし、移るにしても1年や2年で辞めるわけにもいかないなというのもありました。

 

私は今、津山朝日新聞社の4代目なのですが、その頃から「いつかは津山に戻らないといけない」ということも考えていたので、そこで転職すると、また帰るのが遅くなるかもしれないと。そのタイミングで、よく考え、父親に電話して、「経緯としてこういうことがあって、もう一回人生を見つめ直したときに、津山朝日新聞で働きたい」ということを伝え、津山に戻ってきたという経緯があります。

 

そして、新聞社の業務は幅広いので、いろいろな業務に関わっていこうと考えていました。しかし、たまたま戻ってきたタイミングで父親が倒れたのです。そして、自分は何もわからないまま代表となりました。

津山朝日新聞社の入り口にある社名看板

4ある日突然、津山朝日新聞社の代表に

丸尾

それこそ現在までで創業100年を超えるような会社であり、その時点でも3代続いてきている会社を、いきなり自分が代表として運営していくことはとても大変ですよね。

福田

そうですね。やっぱり新聞社って職人集団だなと思うのですが、私が代表になったその時は、自分が一番若かったんです。でも、60代とか70代の大ベテランの方々がいるような中で、文章を書くというのも、一般的な職業じゃない感覚もすごくありました。

 

「大ベテランの方々に認めてもらうためには、どうすればよいのだろうか?」という。時間をかけずに認められる方法はなかなか無くて、非常に苦労しましたね。今でもそうですけど、敬意を払うことは非常に重要だなと感じていますし、どこの会社でもそうかもしれないですけど。

丸尾

この時から社内からも見られ方が変わった・・・など、記憶に残っていることはありますか?役職としては社長でも、本質的に社長になれるかどうかというのは難しいところだと思うのですが。

福田

そうですね。「多分・・圧倒的に人と会う数が増えてきたとき」ぐらいから、見られ方が変わった気がします。会社の人に認めてもらうときに、つながりの広さで見られているところはあるかなと思います。

 

つながりが増えたときに、頼りにされるというか、そしてそういう積み重ねにより、ある時期ふとそのつながりが自分を救ってくれことも多かったように思いますし、社内でも認めてくれたなというのは感じました。

5既存ニュースソースに頼らない、新聞のあり方

丸尾

地域のコミュニティー新聞である津山朝日新聞についてこれからの構想などはありますか?

福田

それこそ、本当につながりや地域に支えられてきたというのを実感することが多く、自分たちが新聞社としてできることを考えました。今、もっと津山の企業さま、そして地域とつながり、共に成長していく取り組みをしていきたいと考えています。

 

特に、このコロナ禍においてもいろいろ感じることがありました。津山朝日新聞の情報提供に関しても、もっと地域密着の新聞社として、地域の企業さんにもっと寄り添って、その方たちから直接話を聞いて得られたニュースソースから記事を作っていくということを展開して、独自性というのを出していきたいなと思っています。

丸尾

記者クラブなどでのニュースリリースとか、行政のリリースによって、紙面の構成や、記事の優先順位も決まってきたりするのだと思うのですが、そういう既存のやりかたを覆すといいますか?

福田

そうですね。まさに、記者クラブに頼らないということでもあります。
記者クラブ、例えば行政や、警察署などそうなんですけど――といわゆる“マスコミ”ってwin-winの関係があって、例えば大きな事件とかでも、記者クラブに登録しているマスコミ以外には発表しないなどがあるのです。

 

発表する側としては、すごく効率はよく、そういったときは記者クラブは、ある意味活かされるのですが、記者がどうしてもニュースソースが各社同じになってしまうので、面白みもなくなっている現状があります。

 

独自性がどんどん失われていっていると感じています。本来は実際に色々な人と話をして、そこから情報を拾っていくという、先人たちがやっていたことをもう一回やろうと思っています。現場としては苦しいことにはなるのですがチャレンジをしてみたいなと。

6情報を待つのではなく、主体的に取り組む責任

丸尾

これからの津山朝日新聞の記事としてはどういう記事が発信できたらと考えられていますか?

福田

一つ目は、文化的なものにさらに力を入れたいなと思っています。
「文化」や「芸術」といったことですね。特にこのコロナ禍において、アーティストや、芸術を志す方々には補助金もあるのですが、あまり活用できていないこともあります。例えばカメラマンや、音楽家でも、自分たちは支援されてもよい存在であるということを、あまり自覚されていないところもあったりします。

 

また、役所の申請書というのは堅苦しかったり、申請しても通らなかったりする場合もあるので、この状況に失望どころか、絶望していく方たちもいます。そういう人たちをもっと情報発信で支援ができたらなと考えています。

 

二つ目が、企業や人の情報をもっと掲載していきたいですね。自分たちの欲求と好奇心もあるのですが、「この会社ってどんなことをしているのかな?」その純粋な好奇心を読者の方も持たれていると思うので、地元にも素晴らしい人たちが活動していることをもっと知ってほしいと思います。

丸尾

それこそ僕たちの世代もそうなのですが、まだ知られていないけど、地元目線でみると意外と新しい発見もたくさんあります。

福田

あとは、すでにあることの情報提供だけでなくて、例えばレプタイルさんと組んで、新たな事業をして、それを取材記事にしたりなど、事業の主体となるような動きをもっとしないといけないとも思っています。コロナ禍でもあり、2年連続で「ごんごまつり」が開催されないなど、地域のいろいろな企画がなくなる中で、“待っているだけでよいのか?”という気持ちが強くなりました。

 

例えば、丸尾さんところでも、コロナ禍でいち早く、津山地域における店舗支援のクラウドファンディングをされたじゃないですか!?やっぱり、ああいった取り組みは素晴らしいと思っています。自分たちがいざというときに主体となって実行し、情報発信もできるということですよね。

 

私たちも地元の素晴らしい企業さんに取材を通じて、その人たちの強みなどをしっかり理解して、いざというときに組んで、ともに事業をして、そして情報発信もしていく。それを目指したいなと。

7「Homing」のような、新たな取り組みをもっと“面白がる”

丸尾

それから、津山朝日新聞さまとは、レプタイルが主催する岡山県北の創業スクール・コンテスト「Homing」を一緒にやらせていただいていますが(ありがとうございます!)これも先ほど言われた、企業とともに事業を行なったり、関わっていく部分でしょうか?

 

岡山県北の創業スクール・コンテスト「Homing」
https://homing-tsuyama.jp/

福田

もちろんです!レプタイルさんのことを言うと、すごいなと思うスピード感でされているところもありますし、すごく不思議なんです(笑)。例えば本を出されたり、媒体を出されたり、企画もされたりということで、すごいなと思うところがたくさんあります。

 

地域には既存の団体ですとか、集まりなどもありますが、そのような方々にも、レプタイルさんがやられている津山地域の創業・新事業コミュニティ「Homing」のような取り組みについてもっと興味を持ってもらいたいと持っています。特に地域では、新しい人たちの取り組みに警戒心が強かったりとか、それはすごくマイナスなことだと思っていて、町の魅力の半分以下しかわかっていないことだと思うのです。

 

私は、そういった既存の地域のつながりの魅力もわかっていますし、さらに新しい取り組みにも好奇心があって、そういう人たちのところにも飛び込んでいきたいと思っています。
違う人たちがやってるな・・ではなく、地元でこれだけの「Homing」のような取り組みをできる会社があることを、もっと“面白がってほしい”なと。

Homingビジネスプランコンテスト2019ファイナルのステージ

8創業111年を迎え、プロジェクト「YASAKA(ヤサカ)」始動

丸尾

では次に、津山朝日新聞さんの新しい取り組みとして、YASAKA(ヤサカ)について聞かせてください。

福田

まず、創業111年ということで、この1年間は「111 スマイルプロジェクト」ということで、地域の人にここまで育てていただいた感謝を伝える企画として「YASAKA(ヤサカ)」という企画を立ち上げました。

 

「YASAKA」
https://www.yasaka.online/

 

これが企業の皆さま方と「ともに栄えていく」というコンセプトで、1年間はモニター企業さまということで、この企画自体を育ててもらえるような、そして意見をもらえるような企業さまに、会員費をいただきながら、創業記念の広告ですとか、イベント企画、セミナー企画なども行なっていきます。

津山朝日新聞に掲載された111スマイルプロジェクトの広告
丸尾

この参加企業特典は、結構広告も大きいですよね。創業記念の記事についても、自分たちの取り組みや、これから未来に向けてどういうことをしていくかなどを考えてもらう機会にするための広告でまさに、本当に地域の企業と一緒に行なっていく取り組みですね。初年度モニターだと、企業からすると、すごく金額的にメリットがあるので、とても嬉しい企画だと思うんですけど(驚)。

福田

はい。たくさんお声かけいただいているのですが、そして今回、私自身がすべての企業さまにお話に伺わせてもらおうと思っております。

丸尾

YASAKA(ヤサカ)の初年度としては、どれぐらいの企業数が参加できるのでしょう?

福田

110社の企業さまで、これは紙面の都合もあるんですけど、津山朝日新聞社も111社という、分かりやすくなっております(笑)。

丸尾

先日、このYASAKA(ヤサカ)についての、告知が津山朝日新聞に大きく紙面に出ていましたね。新聞を広げるとものすごくインパクトがありました。

 

おそらく、福田さんが言われていた津山朝日新聞のこれからのあり方とか、それからが体現されるような告知広告かなと思いますね。これかなり紙面としては大きく入っておりますが、これが丸々1面という(驚)

福田

そうですね。おそらく全国的にもあまり類のない形でだしました。ラッピング広告なのですが、縦使いにしたのは、私は少なくとも見たことがないので。

9優しくあるためには、強くあること

丸尾

津山朝日新聞を発行しながら、こういったプロジェクトに取り組まれるのも本当に大変だと思いますが、すごく楽しみです!では、最後に、福田さんが日頃から大切にされていることばなどがあれば、教えていただけますか?

福田

「優しくあるためには、強くあれ」です。それを自分にいつも言い聞かせています。人間は可能性があって、何度でもチャンスがあると思っています。向上心のある人もたくさんいますし、自分も含めですが(笑)、不器用な人たちもたくさんいます。
私自身も命を救われたことがあるので、人を守ったり、頼られるためには、自分が強くないと駄目だなと思っています。

 

やっぱり人に優しく思いやりを持って人生を送るためには、自分自身がその人たちを背負えたり、手を差し伸べられるぐらいの強さを持ちたいなと。だから頑張ろうと、ここ10年ぐらい言い聞かせています。
なかなか強くなれないですけど(笑)。それが自分の信念です。

地域に向けて、自らが取り組む新聞社に。

株式会社津山朝日新聞社
岡山県北3市5町2村を中心に『津山朝日新聞』の発行を行っている。 「正邪を明らかにし、不偏不党、もって中庸の報道により地域文化の進展に寄与せんとす」という理念のもと、創刊100年を越えさらなる飛躍を目指す。本社工場では新聞印刷の他に印刷全般の業務を行っている。

お話を聞かせていただきありがとうございました。
創業から111年を迎える歴史ある企業であり、地域で親しまれる津山朝日新聞を発行されながら、さらに地域に密着し地域とともに成長する新たな取り組み、新聞社の枠を超えて行っていくお話を聞かせていただきました。新聞媒体としても既存ニュースソースに縛られず、自ら地域に情報を取りにいく姿勢や、企業との協働に取り組む姿勢にとても感銘を受けました。福田さんは、東京からUターンで、新聞社の枠にとらわれず、地域を変えていくかえーる人でした。

 

  • 取材日:2021年7⽉15⽇
  • 撮影地:株式会社津山朝日新聞社(岡山県津山市)
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